現象の奥へ

『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』──意外にも原作に忠実(笑)(★★★★★)

テリー・ギリアムドン・キホーテ』(テリー・ギリアム監督、2018年、原題『THE MAN WHO KILLED DON QUIXOTE 』)

セルバンテスの『ドン・キホーテ』は、前編が1605年、後編が1615年に出版され、前編は部分に分かれているが後編は分かれてなくて、作家自身は、シェークスピアより17歳上だが、同じ、1616年に死んでいる。二人は、ほぼ同時期に、「狂人の老人」」についてのフィクションを作り上げている。かたや、『ドン・キホーテ』。かたや、『リア王』。なぜこんな設定なのかと言えば、気が狂っていることにすれば、どんな権力批判もまかり通った。日本の劇作家でも、飯沢匡というヒトは、戦争中に、軍部批判を幽霊にしゃべらせる劇を書いている。
 いつも「狂った登場人物」が出てくる、全体に狂っているような世界を描くのを得意としてきたテリー・ギリアムが、実に構想30年で作り上げたというのが本作であるが、意外にも、原作に忠実なのであった(爆)。だから30年もかかったのか。
 原作の『ドン・キホーテ』は、昔の小説にあるような、ある文書を、たまたま手に入れて……てな構造になっている。ウンベルト・エーコも『薔薇の名前』で採用しているが。セルバンテスがトレドの市場で買った冊子に、妄想を抱く老人の話が出ていて……てな構造である。つまり、お話は、原作もまた、メタの迷宮に入り込んでいるのである。これが面白いと、ギリアムは思ったのだろう。しかし、どうやって映像化する?
 主人公のトビー(アダム・ドライヴァー)は、CMの監督で、まあまあの暮らしをしているが、スランプに陥り、どこかで自分自身にも不満を感じている。たまたま行った撮影地のスペインで、スポンサーたちと酒場にいると、ジプシー男の物売りが、「こんなのどう?」と、DVDを見せる。それは、トビーが学生時代に作った映画だった。タイトルは『ドン・キホーテを殺した男』。トビーは気になってそれをどこかで見ようとする。誘い込まれた女の部屋で映し出すと──。
 映画は、その学生時代に作った映画(モノクロ)に変わる──。このあたりから、映画は「メタ」部分に移行していく……。しながら、「物語的現在」へ戻ったりする。現在のドン・キホーテとは、暗にトビー自身を示しているが、「当時の」ドン・キホーテ、靴職人のスパニッシュの痩せたジジイ、ジョナサン・プライスノーベル賞作家の役より、はるかに似合っている(笑))も絡んでくる──。
 全体に物語は、「007」なのである(笑)。悪役は、デンツーのようなCMカイシャの「ボス」、スカルスガルドと、その顧客でロシアの金持ちのなんたら。ウォッカを扱っている。「ボンド・ガール」は二人。トビーの学生映画に出演した、当時少女、いま、訳あり女のスパニッシュガールと、「ボスの妻」のオレガ・キュレンコ(相変わらずの調子のいい悪女)。彼女たちを交えながら、スペインの田舎で、例の風車相手の妄想やらの、いろいろの冒険をしたあげく、ロシアの金持ちが持つ城の仮面舞踏会へと盛り上がっていく──。ま、しかし、だ、実際に、原作には、ドゥルシネーア姫は一度も出てこない。なんでも中世の騎士は、励みのために、心の恋人「思い姫」を、実在の高貴なお方などを思いながら決めていたとか。
 本作で、トビー役のジョニー・デップが降りて、アダム・ドライヴァーになったとか……。また、それを「宣伝」に使っている映画社であるが(笑)、私は、ドライヴァーでよかったと思う。30年前はデップだったのだろう。しかし、デップでは、物語は薄汚くなってしまいそう(笑)。最旬の俳優、ドライヴァーの清潔感が、物語に透明感を与え、原作の複雑さを「見える化」している。しかし、実際の、当地の平原には、なにもありません(日本人観光客向けの「ドン・キホーテ村」みたいなのはあるらしい)これは、セルバンテス時代も今も変わらないようだ。私は5年前にそこを北に向かって走ったのでした、友だちの運転する車で。この映画には、さぞかしセルバンテスさまもご満悦であろう。

 

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スペインの平原。