現象の奥へ

【詩】「アバンセラージュ族最後の人の奇談」

アバンセラージュ族最後の人の奇談」


かさねとは八重撫子の名成(ななる)べし 曾良

随伴していく者の日記は律儀にて

主人は空想で創作

明日はマドリッドへ戻るというとき

サンチャゴ経由で行きたいと思っていたが、

肝心のドライバーのホアンホが、そこは何回も行ったから行かないでもいいと言い出した。

冗談じゃないよ、あたしは一度も行ってないから寄って行きたいのに

ここを省略してしまったら、スペイン旅行はないじゃん。

と強く主張したら、彼はしかたなく

連れて行ってくれた。

シャトーブリアンに題名のような歴史物語あり、

スペインに寄ったからこそ書かれたとか、

ドナルド・キーンが『百代の過客』で書いている。

シャトーブリアンも、曾良のような従者、ジュリアンを連れていて、

ジャリアンの方は、曾良のように、「事実」の日記をつけていた。

日記こそ、嘘を書いてもいいし、事実を書いてもいい。

そこはご自由に。旅日記ならなおのこと。

それにしても、この歴史物語は、なんと素晴らしい題名ではないか。

私の夢に月は存在しない、と、ベケットは『モロイ』で書いている。

だから星も嘘だよ、と。

そうこうしているうちに、

修験光明寺

夏山に足駄を拝む首途哉(かどでかな)

行者堂に安置してあり一本歯の足駄。


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【詩】「反復」

「反復」

奥羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて、
はて先人にこころを重ねることはできるか?
同じ景色を見同じ言葉を書き付けても
こころは重ならず
滝の裏にまわりて
上梓までに五年をかける
日本海岸に先人のうたなく
ゆえに病を決め込む
曾良は河合氏(かはひうぢ)にして、
のところで、われに河合しげなる
大叔母のいたのを思い出す
山下しげであったところが
河合に嫁ぎ
夫は戦争で死んだ
かじさんなる男と親しくし
それでも男女関係ではなく
そのひとの連れ子
かじしげる
をかわいがっていた。
われの初代ボーイフレンドなり。
暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)
 

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【詩】「編集者」

「編集者」

剃捨て黒髪山に衣更 曾良
出版社ガリマールの創始者ガリマールは
生涯一度も自らの本を出さず
俳句についての蘊蓄第一人者山本健吉
は生涯ただの一句も発表せず
彼らの先駆はまづ
はせをであらう。
「おくのほそ道」という紀行文集には
随伴者、曾良の句がほしい
上の一句を、
彼のふりして作るなり。
 
 

 

『アメリカン・ユートピア』──Show must go on with corona !(★★★★★)

 『アメリカン・ユートピア』(スパイク・リー監督、2020年、原題『DAVID BYRNE'S AMERICAN UTOPIA』)

 

  遅ればせながら(というのも、卒論が「オフ・オフ・ブロードウェイ」だったにもかかわらず(笑))、15年ほど前に初めてニューヨークに行って、初めてブロードウェイの舞台を観た。それがミュージカル『スウィーニー・トッド』で、役者が全員ひとつの楽器を持って演奏し、歌い踊っていた。ちょうど、この映画のように。ブロードウェイでは、芝居はもちろんのこと、歌、踊り、楽器の演奏はあたりまえのことと見た。しかも、装置はシンプルで、洗練されている。ちょうどこの映画のように。    
 カメラを感じさせないと、経験値の少なそうな(笑)、「映画com」の批評家氏が書いておられたが、実際の舞台を映画にしたというより、スパイク・リーのカメラワークが縦横に走っている。彼はこの映画でなにを言いたかったか──。すなわち、もう「希望の祭典」なる全世界スポーツ大会はオワコン(「終わりのコンテンツ」という意味ですよ、オジーチャン(といっても、この言葉も終わりかけてますが(笑))であるということ。ウイルスとの戦争で人類は負け、時間が逆流した。いやいや、螺旋状に一段階上の同じ位置に。

  ニューヨークにまた行きたいとも思わず、ただ、舞台で呼ばれた、非人間的な死を迎えた人々の名前、直近では、ジョージ・フロイト、だけは覚えておこうと思う。  それにしてもアメリカ人は、コロナで生き延びても、銃社会で死んでしまう。いったいなんてこった! 日本人は、今のところ、「希望のスポーツの祭典」に犠牲を捧げます。 (いったい、どういう映画だったんですか?(笑)、それは、実際に見てください(笑))

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すでにハルマゲドン

「ハルマゲドン(世界最終戦争)でもないかぎり、オリンピックは開かれるだろう」

IOCのパウンド曰く

 

こんな言葉を平気で言うことじたい、すでにハルマゲドンであらう。

 

https://twitter.com/kumogakure/status/1398320967915425795?s=20


 

 

『アオラレ』──この時代、恐怖映画は難しい(笑)(★)

『アオラレ』(デリック・ボルテ監督、2020年、原題『UNHINGED 』)

 スターが演じる凶悪犯……。ルトガー・ハウアーの『ヒッチャー』ではないが、ついこのあいだだと、ドラボルタのストーカー。しかし、このテの映画は、初めから成功しないことはわかっている。というのは、スターと、凶悪犯が矛盾してしまうからだ。まあ、ルトガーなど、妙に愛嬌ある凶悪犯というところがミソであったが。それはともかくとしても、この映画、クロウ以外はスターは誰もおらず、このテの紋切り型で、なるべくしてなっていって、最後は被害者のヒロインが気丈にも犯人を殺し、お約束通りのめでたしめでたし。この映画が、せめて二流になるためには、ヒロインがそれなりに魅力的でなければならないが、不美人ではないにしても、まったく同情できない表情と演技。演出も脚本もだめ。伏線だけ拾えばええだろーという拾い方(笑)。

 いくらパンデミック時代とはいえ、こんな映画に出ているとは、ラッセル・クロウも劣化が激しい。もうどんな恐怖映画も全然怖くなくて、どんなパニック映画も全然ヒヤヒヤしないで、いったい映画芸術はどうなってしまうのだろう? というのが、一番の恐怖である(笑)。

 ラッセル・クロウと題名につられて、「要」と「急」を感じて、今年「初めて」劇場に走ってみたが、原題のunhingedは、抑えがきかないという意味だが、邦題の『アオラレ』に騙された!(笑)。肝心のアオり運転場面はほとんどなかった。中身はべつものじゃんね(笑)。


【エッセイ】「オリンピックは永久廃止を」

「オリンピックは永久廃止を」

Plutocracy(プルータクラシー)なる言葉がある。訳せば、「金権政治」。かつては、民主主義や共産主義イスラム原理主義など、政治体制を表す言葉があったが、いまは、このプルータクラシー「金権主義」が大手を振っている。この信者たちは、本人が意識しないでも信者であるかもしれない。はたから見て狂っているとしか思えない発言も自信を持っておこなわれる。IOCの役員たちが、その存在を、目に見える形で表してくれた。「金のためなら、自分以外の他者はどんな犠牲を払ってもなんとも思わない」。
 オリンピックは、若いまだ人格形成にある選手たちを洗脳し、命をかけるに値すると信じ込ませ、彼らが「活躍すれば」、瀕死の人々もしあわせになると思い込ませるようなものになってしまった。中止どころか、永久廃止を。