現象の奥へ

【詩】「死なない鼠」

「死なない鼠」

傳ちゃんがメッセージで、
死なない鼠について言ってきた。
すぐにベケット
「あの鼠、殺さなければ死んでしまう」
という台詞を思い出した。
それはディズニーの鼠のことで、
傳ちゃんはその鼠がすきでなかったが、
かけるというこども(おそらく傳ちゃんの孫?)
は、その鼠がいっぱいいっぱいすきだった。
それはSATYとかいうスーパーの看板に見えるとか。
私はそういう名前のスーパーは知らなかった。
傳ちゃんのメッセージの意図は?
自分の詩を引用してるみたいだった。
そのとき私は、傳ちゃんがとてもよいひとだと知った。
ひとが、なにもかも脱ぎ捨てて、おのれのすきでないものについて
語る時。
わたしは傳ちゃんに、死なない爺であってほしいと思った。
「クラップ氏の最後のテープ」のように。
そこに出て来る老人が、不死かどうかはしらないけれど。

 

 

【詩】「ブラックホールは自殺する」

ブラックホールは自殺する」

永遠でないことに
飽き、自殺することにした、
オレ。
どうやって?
簡単。
きみが忘れてくれさえすれば
いい。
闇の触覚を、
渦巻きの昏さを。
そうして単体の寿命を測り
新しい理科に乾杯する。
どういうつもりなんだ?
「流れ星は不死身のつもり」って。
最果タヒとかゆー
性別不明の「有名詩人」の
新作の題名に、
インスパイアされたんだ(爆)。

 

【詩】「何でも行け、ローマ!」

「何度でも行け、ローマ!」

何度でも行け、ローマ!

そしてベネト通りでダンスせよ、ヘップバーンのようにね!

そして海岸で、おおきな「淀ちゃん」(淀川に流れついて鯨の愛称)のような魚の死骸のそばを歩き、おのれの堕落を甘受せよ!

親友の死をかみしめる、

マストロヤンニのようにね。

ああ、それにしても、

マストロヤンニのいない世界は

さびしい。

 

【詩】「ローマ」

「ローマ」

はじめてローマのキャピトリーノの丘に達したとき、
珍しい柄の猫にあった。
ローマでは珍しくなかったのかもしれないが、
そいつは、渦巻き模様だった。いや、そいつら。
何匹もがらんどうの丘の斜面をのし歩いていた。
透明の天使や戦士が飛び交っていた。
イギリスの歴史家ギボンも。
フェリーニなんて問題じゃないね、とギボンは言った。
あのとき、すでに歴史は古かった。
だれも、あんな壮大な歴史書を書くなんて
信じていなかった。
渦巻き猫は通りすがりながら言った。
え?
こうしてわたしの魂は透明になった、



 

【短編を読む】「大岡昇平『俘虜記』」

【短編を読む】「大岡昇平『俘虜記』」(初出『文学界』昭和23年2月号。四百字詰め換算約96枚)

本作は、のちに連作長編として一冊の書物となる第一章、「捉まるまで」の部分であるが、最初は、昭和23年に『文学界』に短編の形で発表された。単体の短編と連作のひとつの章としての短編では文学的構えが変わってくる。しかし、当方は、連作長編としては読んでないのでなにかいう権利を有していない。当方のテーマは「短編を読む」ことである。大岡昇平の全作品を後世に残されたかたちで評価することではないことを前もっていっておきます。なにより短編の形をさぐり勉強することに趣旨があることをお含みおきください。
 本作は、短編としていっきに読んでこそ内容の重みがある。作中を流れる時間も、せいぜいが数日のものである。章分けしてしまうと、密度が緩み、哲学的な深さが物語の方に傾いてしまう。本作は作者が体験した劇的な経験であるが、連作長編の一部として読めば、ただのひとこまとして、短編の密度は弱まる気がする──。

 いま、われわれも「戦争」を「見ている」。連日、テレビが、ミサイルなどが撃ち込まれる街路や、逃げ惑う人々を、「戦争反対!」などと口だけで叫んで、この「戦争ショー」を観戦し、自分だけは傷つかないことに安堵している。そして、攻撃した側の元首を「悪者」にしたてて納得している。こうした戦争の「ショー化」は湾岸戦争より始まったと思う。
 昭和19年、フィリピンの島に兵士として送られた作者は、国家が一般人民に与える暴力に、人間としてぎりぎりまで苦しみ、その状況を、深く記述し、思考する。その記述である。やがて、「運よく」米軍の俘虜となり、生き延び、ここの発表された作品を書く。大げさな観念的なことは一切書いてない。ただ一瞬一瞬、見たこと感じたことを正直に書いていく。しかし、それは、やがて深い哲学の内容を帯びていく。小説というか創作とは、そういうことであり、先に定義があるわけではない。その点、「詩と何か?」とか、偉そうに抽象的な印象批評を並べ、批評家然としているヤカラが散見されるのは、まことに恥ずかしいというか、あきれたことである。

 

 

【詩】「荒地2023」

「荒地2023」

ばりあるおぶざでっど。
えいぷりるいずざ、くるーえすとまんす。
ぶりーでぃんぐらいらっくあうとおぶざでっどらんど。
死んだ土地からライラックを生まれさせる。
子犬のまさにぶりーどのように。
一歳になったばかりの幼い雌が、
赤ん坊を製造させられる。
これ以上の残酷があらうか。神よ。神はいない。
そしてエリオットは男の恋人を
海峡で失い、水死者を、死んだ土地に葬る。
みきしんぐ、めもりーあんどでざいあ、すてありんぐ、だるるーつ
うぃずすぷりんぐれいん。
記憶と欲望を、しなびた根っこで春の雨と混ぜる。
2023はさらに残酷な年とならう。

 

【詩】「プレザンス」

「プレザンス」

プレザンス、それは、われわれの知覚の選択。
丸ければ丸い、四角ければ四角い、
表象を選び、現実のなかに像を現前させる。
そこに介在するは意志、時間、
瞬時に切り刻まれる時間。
「私」の前に現れる
現象を
知覚、非知覚の
どちらかのなかに選び取る。
意味を開けば現れ、意味を閉じれば消える。
そも意味とは。
それが人間という存在。
自然の法に背いたもの。
肉体の役割。