現象の奥へ

【映画】『誰もがそれを知っている』──差別構造を浮かび上がらせるミステリー(★★★★★)

『誰もがそれを知っている』(アスガー・ファルハディ監督、2018年、原題『TODOS LO SABEN/EVERYBODY KNOWS』) ファルハディ監督の作品を、『彼女が消えた浜辺』(2009年)『別離』(2011年)『セールスマン』(2016年)と見てきたが、本作に一番近いのは、最初に高い評価を得た、『彼女が消えた浜辺』だろう。本作の場合、できがよいとは言えない本格推理仕立てとなっているが、根底にあるのは、社会の差別構造である。私は、チェーホフの『桜の園』を思い出していた。すなわち、農奴を抱えた封建制が崩壊し、ラネーフスカヤ夫人の荘園は、農奴のロパーヒンが買っていた。そうとも知らないブルジョワ一家は、ロパーヒンと親しくつきあいながらも、農奴あがりの従僕であることになんの疑いも抱かない──。本作でも、一家の家長の父親が、葡萄農園を持って、ワイン醸造家として成功しているパコ(ハビエル・バルデム)に向かって、「おまえはうちの使用人だった」という言葉を何度も放ち、かつ、安い値段で自分の土地を買ったと言い張る。
 そんな父親の娘が、嫁ぎ先のアルゼンチンから子どもを連れて、妹の結婚式のために帰ってくる。そのラウラ(ペネロペ・クルス)はパコと幼なじみで、もと恋人同士であった。三女の結婚式の夜、ラウラの娘の16歳のイレーネが誘拐され、莫大な身代金を要求される。以前の似たような事件では、被害者の少女は殺害され、その新聞記事が、イレーネのベッドに置いてあった。ゆえに、一家は、すぐに警察に届けず、身代金を作ろうとするが、すでに一家にはブルジョワの実質はない。そこで、身分が下でも、実業家であるパコに頼ろうとする──。
 すでにタイトルに半分現れているように、ミステリーの筋書きは、ほぼ「予想通り」に進む。ここでは、派手な容貌で、派手な作品に出ていた、実際の夫婦、ハビエル・バルデムペネロペ・クルスの抑えた演技(クルスは誘拐された娘を慮って泣きわめくが、それは派手な演技とは違う)が、スペイン社会のリアルを浮かび上がらせる。しかも、すべての「一家」のキャラクターをきめ細かく描いている。ペネロペを二女に、長女、三女の、それぞれの配偶者や子どもまで。ざわざわとした大家族の、土や草、木の匂いが伝わってくる。
 映画の筋書きとして、犯人は観客に明かされるが、物語のなかでは最後まで明かされず、長女のみがうすうすと気づき、それを夫に語ろうとするところで、映画は突然幕を閉じる。哀惜を帯びた声の歌が流れようと流れまいと、ファルハディ監督のスタイルは変わらない。紋切り型のミステリーから観客を解放する。