現象の奥へ

『ジョーカー 』──ジョーカーはまたあなた自身(★★★★★)

 『ジョーカー』( トッド・フィリップス監督、2019年、原題『JOKER』)

紋切り型のアクション映画などは、悪役は無名にやらせ、やっつけてオシマイということでメデタシ、メデタシということになる。007シリーズなどは、そのあたりをよく考えていて、ボンドの敵役は、ボンドガールと同格に、誰がやるかが毎回話題になる。悪役をスターがやっている映画は、まず一流といえる。これまで、完全なるワルが主役を張って、魅力的だったのは、「人なつっこい目をした」(笑)殺人鬼を演じた、ルトガー・ハウアーの『ヒッチャー』と、本作である。
 まー、あたしゃ、完全にホアキンのアーサーになりきってましたね〜(爆)。殺伐とした昨今にそっくりの社会状況の、架空の都市(であったはずの)ゴッサム・シティ。しかし、冒頭の三人の男が車内の女性に絡んで、乗り合わせたピエロのホアキンに射殺されるのだが、ニュースでは、「ウォールストリートのエリートたちが殺害された」と言っていた。よく見れば、それほど作り込んではいない、ニューヨークである。ぶるる……。コワっ。この街と時代が、一人の「弱者」を悪の権化に変えていく──。いつしか、『バットマン』の敵役ジョーカーは、「独り立ちしていた」(笑)。ジャック・ニコルスンも見たし、ヒース・レジャーも、ジャレッド・レトも見た。みなそれなりのスター俳優の悪役であるが、では、バットマンなくして、一人で、出ずっぱりで、観客の視線を引きつけ続けられるかというと、いさささか疑問である。やはりここは、ホアキン・フェニックスなくしては、ジョーカーひとりで持たせるのは無理だったろう。
 幼少時の母親による虐待、母子共通の妄想癖。しかし、映画は、妄想と現実の区別をあえてつけない作りである。観客が、ストーリーから、「あれは妄想だったのか」と判断するしかない。ロバート・デ・ニーロが、いまある、「スター千一夜」のようなインタビュー番組の司会者を演じているが、この形式は、スティーブンなんたらの、「レイトショー」としてFaceBookに流れてくる。しかしまさか、呼ばれたゲストが銃を持っていて、その司会者を、観衆注目のなかで殺してしまうとは思ってもみないだろう。この瞬間から、ピエロのコメディアンだったアーサーは、「ジョーカー」に変身するのである。
 あなたも自分に問うてみるがいい。アーサーが次々殺した人々に同情したかどうか? いつしか、アーサーに感情移入していなかったか?