現象の奥へ

【昔のレビューをもう一度】『リトル・ミス・サンシャイン』──「負け組」であることのまっとうさ(★★★★★)

●見どころ→「哲学的理由から口をきかない落ちこぼれ高校生の長男」に、ポール・ダノ、すでにして、堂々たる存在感!

リトル・ミス・サンシャイン』(ジョナサン・デイトン ヴァレリー・ファリス監督、2006年、原題『LITTLE MISS SUNSHINE』)2007年1月15日 5時49分

本作は、パンフレットにもあるように、「負け組」家族の映画である。いかにも「凡庸な」自己啓発本を出版するのにやっきになっている、もしかしたら、凡庸以下(?)の父親。自殺未遂の兄を持ち、ケンタッキー・フライドチキンとスプライトをディナーにしてもなんの不思議も感じない母親。哲学的理由から口をきかないオチこぼれ(?)高校生の長男。この映画のタイトルでもある、「ちびっこ」ミスコン優勝を目指す、あんまり美しくない(笑)少女である長女。それにとんでもない不良ジジイの祖父。そこに、自殺未遂「したてほやほや」の伯父が加わる。
 彼らは、おもに「経済的理由から」(笑)、借りたミニ・バスで、アメリカ大陸を横断して、長女のちびっこミスコンに乗り込む……。
 そんな一家の「ロードムービー」であるから、はたから見たら、笑えることの連続。しかし、当の本人たちにとっては真剣に悩むべきできごとである。
 でも。でも、でも~……。やはり、「負け組」は正しい! そう思わせられる、「結果ハート・ウォーミングな」映画。