現象の奥へ

『マリッジ・ストーリー』──結婚という制度と愛は別物を露呈(★★★★★)

『マリッジ・ストーリー』(ノア・バームバック監督、 2019年、原題『MARRIAGE STORY』

 ある夫婦の「離婚に至るまでの物語」ではなく、「離婚を決めた夫婦」の、離婚までの「物語」。ありふれた「夫婦決裂」のハナシではない。「結婚」という社会制度が、いかに人間の関係に介入するかを描いている。その社会制度によって、人間はさらに傷つけられる、それをどう生きるか。言い合いはあるものの、ここには、過去にあるどんな映画のステレオタイプもない。純粋な二人の関わりを、絡んでくる「社会」(弁護士、友人、配偶者ではない家族、肉親)がいかに翻弄するかを、リアルに描いている。わりあい長尺ながら、伏線もぴりりと利いている。ノア・バームバック監督は、ニューヨーク出身でかつニューヨークを舞台に、会話中心の作品を作るので、ウディ・アレンの2代目と言われているそうだが、アレンのように会話はしゃれてない。そのぶん、リアルに人間の生活を描き出す。ここには、犯罪者もいなければ、狂気もない。成熟した社会があるが、それが理想的かどうかはわからない。
 夫婦を演じる、アダム・ドライバーも、スカーレット・ヨハンソンも、清潔感と知性が漂い、すがすがしいドロドロ(笑)を演じてみせる。結婚したことのある人にしかわからない、なんというか、実感が見える。結婚は、恋愛のような、一種の祝祭から始まるのかもしれないが、それが、二人の人間の間に介入した社会制度であることが露呈してくる。そんな実存主義的な(笑)事態に、いかに対処するかがこの「ストーリー」である。そういうことをあらためて提起した映画である。そしてその一方で、愛のようなものはべつに存在することも見せている。残念ながら、制度と愛は、関係がない。なんとかうまくごまかしやり過ごすこともできるし、完全なる決裂を招くこともあるし、その中間ですがすがしく生きることもできる。本編の結末は後者である。