現象の奥へ

【昔のレビューをもう一度】『新聞記者』──安倍という名前を出さなければ絵に描いた餅

★祝! シム・ウンギョンさん、日本アカデミー主演女優賞!

 
 『新聞記者』(藤井道人監督、2019年)(2019年7月11日 記)

 
すでにマスコミで報道された、国民の誰もが知っている「スキャンダル」に想像を加え、官僚の世界を描きながら、暗にその陰には政府があり、それは「上」という言葉で表現されているのみである。

 題名通り、新聞記者の仕事を描いているが、その現場の様子は、紋切り型である。だいたい、新聞記者なんて、新聞社の社員にすぎないのだから、いくら正義感を持っても、できることなどかぎられている。ま、日本のジャーナリズム界ではね。イギリスのジャーナリズム界は、もっと力を持っていて、プーチンの野望を追い、すべて実名で、本を出した、特ダネをよく出している「ガーディアン紙」のモスクワ支局長がいる。

 そう、もし少しでも、現政府なりを告発したいという目的があるなら、フィクショナルな状況、役名を使っても意味がない。すべて実名でなければ。そのとき、作り手の気概も、安倍政権の反応も、少しは見えるのではないか。

 アメリカ映画ではすでにそれはあたりまえのお約束になっているので、トランプ告発でも、ニクソンでも、それから、最近の、サダム・フセインのイランが大量破壊兵器を持っているという「ねつ造事件」を題材にし、「大手」ではない新聞社の新聞記者がそれを暴いた映画でも、すべて「実名」であり、起こったできごとは、「勝手に変えられていない」。それは、このテの、映画、小説の、たとえエンターテインメントとはいえ、お約束である。それを、井上靖ははずしてしまった。それを、大岡昇平は告発している。それと同様に、本作も、「政権の悪」を描きながら、「似たような事件」に尾ひれをつけてしまって、文字通り、ミソクソにしている。これではダメだ。スピルバーグのような超一流と比べると、エンターテインメントとしても、かなりレベルが落ちる(ペンタゴンペーパーという事実は変えず、人物の造詣と構成で、エンタメを形づくっている)。当然、安倍政権は痛くも痒くもない。

 だた、評価できるのは、主役の女性新聞記者を、韓国女優のシム・ウンギョンにしたことで、彼女の持ち味の生硬さが、新聞記者という仕事のリアルさを表現し得ている。日本人俳優とは、演技の質がまるでちがう。それから、松坂桃李以外は、ほとんど顔が知られていない俳優を使い(海外では、国内ではおなじみの俳優も知られていないと思うが(笑))、淡いブルーグレイを基調とした「背景」とともに、ストイックな雰囲気が出て、やはりリアルさを出すのに成功している。それで多くの観客が騙されてしまったのか(笑)?

 さらに言えば、映画で、「新しい情報」を出さなければ、学芸会の域を超えるのは難しい。