現象の奥へ

『源氏物語=反復と模倣 』──文才、想像力ゼロのガリ勉の冊子(★)

源氏物語=反復と模倣 』(熊野 純彦 著、2020年2月28日、作品社刊)

 この著者は、高学歴でいろいろな言語もでき、「日本の頭脳」という声もあると聞く。テクストを読む力のない編集者は、すぐに「尊敬してしまう」(笑)。それで、カント(ドイツ語)からベルクソン(フランス語)の主著の新訳が岩波文庫になっている(少なくともカントの「底本」は、作品社であるらしいが)。つまり、哲学の訳書のスタンダードが作られつつある……ような……。そのうえ、本居宣長だの、源氏物語だの、三島由紀夫などにも手を出している。困ったことに、この著者は、お勉強はできるかもしれないが、文才、想像力はゼロにひとしい。漢字をひらがなに「ひらく」ときも、へんな開き方をして、それで、なにか文学的な文章を書いたつもりになっているようだ。
 さらに悪いことに、ベルクソンの訳書でさえ、おセンチな文体が、哲学の論理性を阻害している。これは、この人のあまり程度のよくない文体のひとつで、つまり、この人の「思想」(というほど高級なものでもないが)なのである。本書も、紫式部が怒りそうな通俗的感性が下敷きになっている。アリストテレスが……なんて引用を、唐突に入れれば、なにか「テクストの悦び」みたいなものが構築できるかと思うと大間違いで、ギリシア文学の大家の田中美知太郎先生に言わせると、アリストテレスには、ひとまとまりの著作はなく、すべて断片だそうである。それを後の人間が「テキトーにつないだ」そうだ。それを、この著者は、ありがたく、「アリストテレスのなんの本なん章」なんて、引用の「出典」をごていねいにもくそ真面目に入れている。それでいて、「時間とはなにか?」を問いもせず、世間一般で考えられている時間として、本書の文章を書いている。……んですけど、このような薄い分量の本は、ベケットのような文学的天才が書けば、それなりの「Book」=本にもなりましょうが、こんな「ただのガリ勉」の場合、本にするほどの分量がないうえに、中身も薄いので読書の悦びは得られない。ただの冊子に「厚化粧をほどこして」、書籍に化けさせているだけである。コストパフォーマンスからいうと、非常に低い「本」である。


 

源氏物語=反復と模倣

源氏物語=反復と模倣