現象の奥へ

【昔のレビューをもう一度】『マリー・アントワネット』──主役はヴェルサイユ

●新型コロナに感染してロンドン病院に入院中の、かつてのミューズ、マリアンヌ・フェイスフルが、マリア・テレジアの役で出ている。
 フェイスフルもヴェルサイユも、サバイバルを祈る!

マリー・アントワネット』( ソフィア・コッポラ監督、2006年、原題『MARIE ANTOINETTE』)

 ソフィア・コッポラの映画というのは、『バージン・スイサイズ』でもそうだが、劇的なことを題材に取りながら、彼女の映画の中では「何も起こらない」。マリー・アントワネットをめぐる歴史的できごとを期待して観にいくと、はぐらかされたような気分になる。
 ソフィア・コッポラの関心は歴史にはなく、常に、「一人の女の子の胸のうち」にある。あの、アントワネットさえ、十代の女の子にすぎなかった……。そのような視点から映画を撮っている。たとえ、演出が「ポップ」であれ、もしかしたら、当時のアントワネットの胸の内はあんなふうだったかもしれない。彼女は、史実の中の人物に、今の女の子との共通点を探っている。
 だから、本作では、断頭台へ消えるアントワネットは描かれていない(それを観たい向きは、ヒラリー・スワンクの出る『マリー・アントワネットの首飾り』を観てください(笑))。しかし、誰でも知っているあの運命を意識して本作を観れば、やはり心を打つ。
 話題になった、宮廷内の衣装やお菓子のポップなゴージャスさもさることながら、なによりも本作では、あの「観光地」ヴェルサイユ宮殿が、周囲の別館、庭園ともに、まるで魔法をかけられたように生き生きと命を吹き返しているのが見られる。それもまた、映画の価値である。