現象の奥へ

『私のように美しい娘 』──かつて映画は創造的な祝祭であった。

『私のように美しい娘』( フランソワ・トリュフォー監督、1972年、原題『UNE BELLE FILLE COMME MOI/SUCH A GORGEOUS KID LIKE ME』)

積ん読」棚のDVDを見ているが、これもそのひとつ。1972年の作品。ワレはまだ成人していなかった。完璧な美貌といっていい女、しかし、生まれも育ちも悪く、おまけに心も悪い(笑)。そんな女が、そんじょそこらの、結局は「やりたい」だけの男を次々手玉にとり、ついには歌手(歌は大してうまくない)としての名声を得、完全犯罪も成し遂げる。「私のようの美しい娘」とは、ベルナデット・ラフォン演じるカミーユまんまではあるけれど、後半で歌手になった彼女が歌う、その歌の歌詞にある。
 トリュフォーは、「今流行の」大テーマとも、なにかありげなご大層な観念性とも無関係に、ひたすらリアルなエピソードを連ねていく。それがくすくすおかしさを醸しし出す。一見単純なストーリーであるが、結構細かくおかしみを仕込んでいく。まず、女子大生ふうの女性が図書館で、なんたらスタニスラフとかいう社会学者が書いた、『犯罪女性』という本を探しているんですが……と、司書に聞く。司書曰く、「その本は確かに予告が出てました。しかし、結局出版されませんでした」。それはどういうわけで……? で、本編のストーリーが始まっていく。女性刑務所の囚人にインタビューに行く、社会学者役の、若きアンドレ・デュソリエがなかなかかわいい。一方、インタビューされる側の女囚、カミーユ・ブリス夫人こと、ベルナデット・ラフォンは、良家の子女でも通る容姿ながら、めちゃくちゃ下品。この下品さ、胸がすくほどである(笑)。彼女は生い立ちから今までを語る。目の前に現れたテキトーな男を利用してサバイバルしてきた。何人目かの男が、彼女といっしょにいるとき、塔から落ちて死ぬが、ひょっとして彼女が突き落としたのでは?という疑いがかかっているが、社会学者がその塔を撮影していた小学生を探し出して、フィルムを見せてほしいと頼むが、子供はすぐにはいいとは言わない。「編集中のフィルムは誰にも見せないんだ」(笑)。人の生死がかかっているというと、特別見せてくれるのだが(笑)。
 持ち味の、そんな小さな笑えるエピソードを積み重ねて、物語は展開していく。ひとつとして紋切り型のエピソードはなく、ひとりとして、でくの坊のような人物はいない。かつて映画は創造的な祝祭であった、ということを思い出させてくれ一本。

 

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