現象の奥へ

【詩】「ラカンの季節」

ラカンの季節」
 
受話器を取ると突然「アロー」とフランス語を話す者が向こう側にいる。それはなんとおフランスAmazon.comからかかってきて、お荷物届かないとのメール読みましたが発送はしてるんです。もし届かないなら請求はしません……みたいな内容だったと思う。焦ったナ、突然のフランス語だったんで。しかし本は数日後に届き、二冊ともラカン関係の本で、一冊は、『ラカンの季節』という題名だった。なかなかすばらしい題名だ。そうだ題名に惹かれて買ったのだった。しかし読んではいない(笑)、なんか読んでない本についてばかり書いているな(笑)。そう今は感心がなくなってしまったんだ。結局、彼ら(フロイトラカン)のやってることが見えてしまって。つまり、
物語化しているわけだ、小説の言語に還元しているんだ、
意識を(無意識も意識だと私は思う)。
そう、フロイトも読んでないやつが、夢を見て、「フロイト」とか口走る、まったく
笑ってしまう。読んでないのはまるわかり、
アホか。そこのうんこジジイ!
ラカン『エクリ』は、ポーの『盗まれた手紙』から始まる。つまり小説の言語を分析に使用しているんだ、
完成された言語体系にあてはめているんだ、
ソシュールから始めよ!
ソシュールがいちばん「年上」なんだ、この
スイスの名門の言語学者が。そう言語学者
精神科医でも哲学者でもない、
誠実に、インド-ヨーロッパ語族について研究したんだ、そして、
ラング、ランガージュ、パロールを定義した、そして、
フロイトは、すでにあるラングを使ってひとの、
夢を分析している、ここが
間違い。それを受け継いでいる
ラカンも間違い。
しかしアホな日本人は翻訳をちらと眺めてまことしやかに
ラカンとかフロイトとか口走るのだ、
うんこ臭いジジイよ!
しかし、同じスイスのビンスワンガーは
詩から始めた、
詩の言語は、ときにランガージュから自由になろうとする、
これこそ、
の言語である。夢の文法を持ち、夢の風景を持つ、
つまり医者もまた患者と同じ
夢を見なければいけない
ということ。
分析者が患者を支配しては
いけないのだ。
この五十年、身過ぎ世過ぎしかしてこなかったジジイの文章は饐えた生活ひいては脳みそを露呈している、
ということを
思ったよ。何をしても無駄、
サイテーの人間