現象の奥へ

『博士の異常な愛情 』──キューブリックとセラーズ、二人の天才

博士の異常な愛情 』( スタンリー・キューブリック監督、1964年、原題『DR. STRANGELOVE: OR HOW I LEARNED TO STOP WORRYING AND LOVE THE BOMB』

 キューブリックはまさに「巨匠」の名にふさわしい監督であり、『2001年宇宙の旅』など歴史に残る傑作なのに、アカデミー賞は「視覚効果賞」しか取ってない。ほかにも、今なら当然アカデミー、作品賞、監督賞にあたる作品群がありながら、たいして賞には恵まれていない。本作で、アメリカ大統領と狂気の博士を演じるピーター・セラーズも、アカデミー賞に値する名優でありながら、ついにアカデミー賞は取れずに死んだ。そんな二人が組んで描く近未来は、すでに近未来ではない。本作は、1964年作であるが、この時代の近未来とは、2001年あたりなのではないかと思うが、その時代をとうに通り越してしまった。これは、『2001年宇宙の旅』でも言える。しかし、以前として、これらの作品群は、「近未来映画」として存在する。古典とはこのようなものを言うのであろう。
 右手が「ナチ化」して、「ハイル・ヒットラー」を、「勝手にやってしまいたがり」、それを左手で押さえつけようと四苦八苦する車椅子の「博士」。なんの博士なのか? 水爆の博士なのか、生き残りの研究をする学者なのか?
 狂った司令官によって、水爆の発射命令が出され、ついに発射されてしまったアメリカで、それを知った大統領以下の人々が、ソ連に知らせようと躍起になり……幸い収拾と思いきや、水爆を積んだ戦闘機の一機が中止命令から逃れ、ソ連へ向かい、水爆を落とし、世界は終わる──。そんなストーリーである。それを、「メタ」っぽく描く。つまり、お芝居性をわざと強調している。それにより皮肉がさらに生きる。何度も見られるように、かなり前に購入したDVDをいつもそばに置いている。

 

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