現象の奥へ

『ラストタンゴ・イン・パリ 』──ゴダールにもトリュフォーにもなれなかった(★★)

ラストタンゴ・イン・パリ』(ベルナルド・ベルトルッチ監督、1972年、原題『LAST TANGO IN PARIS/ULTIMO TANGO A PARIGI』)

 昔テレビかなにかで見た記憶があるが、ちゃんと見たのかどうかはわからない。ラストシーンだけはなんとなく記憶にあった。それでも、もしかして自分のテーマ?かと思ったので、DVDを購入した。「オリジナル無修正版」。どこが? とかはよくわからねど、マリア・シュナイダーのヘアは、丸出し、アップあり、だからこのあたりか。ほかのレビュアーも書かれているように、シュナイダーのヘアが黒々と多毛である、だいたい、ヨーロッパ人っていうのは、こんなんではないかと思う。脇毛も剃るシュミがなかったし。あと、バターを肛門に塗っての強制アナルセックス? シュナイダーは幼女のように泣いているが、そこがまたエロチックでもある。見るべき点はその程度。
 フランス女優マリア・シュナイダーは、同じ頃、ジャック・ニコルスンを相手に、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『さすらいの二人』に、まさに似たような役どころで出ているが、こちらの方が化粧もしておらず、演技も自然で俄然いい。相手役の中年男(といっても、ニコルスンの方が、マーロン・ブランドより10歳くらい若いのではないかと思うから、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の47歳だかの禿げデブより、36歳ぐらいの、贅肉のついてないニコルスンの方がよほどいいし、演技的に見ても、ちょっとオーバーなブランド演技より、そよ風のように自然なニコルスンの演技の方が、はるかに質が高い。
 重要な設定は全部台詞で説明されているし、ときどき、ストーリーからはみ出したようなダイアローグを挿入しているのは、ゴダールの真似のような感じで、トリュフォーの子役だった、ジャン・ピエール・レオを出したのも、新鮮味がない。というわけで、このイタリア人が、なんで、こんな性交だけが呼び物の映画を、パリで、わざわざ作ったのか? フランスにおいては、ゴダールにもトーリーフォーにもなれず、イタリアには、フェリーニがいるし。
 本作がダメなところは、監督自身の思想がよくわからないところである。全部、ファッション、って感じ。だいたい、題名が『ラスト・タンゴ・イン・パリ』なので、二人でタンゴでも踊ってみせるのかと思いきや、ダンスコンクール会場に紛れ込んで、逃げる、追う、をやっているだけ。その会場で、「さあ、ラストのタンゴとなりました」って司会者が言う、そのシーンに、二人のめちゃくちゃな「踊り」が挿入されているだけ。アル・パチーノのように、きちんとしたタンゴで決めてください。ブランドってのは、演技の基礎を勉強してないね。三流俳優。カメラワークはそれなり芸術「的」だったと思います。なにより、オープニングのタイトルバックは、フランシス・ベーコンの顔がゆがんだ、男女の絵を並べて載せていることで、芸術志向を示しているんでしょうが、あまりに回答出しすぎ(笑)。


 

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