現象の奥へ

【詩】「UNIXあるいは実行ファイル」

UNIXあるいは実行ファイル」
 
UNIXは私生活をさらけ出してそれが詩になるかという問には答えない。
さらにその「女」が老いぼれてまだそんな芸で受けを狙っているという問題にも関与しない。
その「オバハン」がTwitterで私をブロックしているというかなりどーでもいい事柄にも順位をつけない。
ひとはなぜにひとを差別するのか?
この問題は根深い。
どんな事柄にも差別は生まれる。たとえば、
私より「有名」だと信じ、「文筆業界」で稼いでいる、「本」を何冊も、「大手出版社」から出している、それだけで、
その人の著書に関して、思うがままに「評した」「レビュー」を「ひがみ」「誹謗中傷」だと「言い張る」
大手ネットストアー、いや「GAFA」のあの「店」に「著者が出てきてこんにちは」(笑)、
驚いたのはレビュアーの方です。なんでも、
「名前だけは知っていた」レビュアーだったから、
「私を妨害しようとした」と思った、そうです。
まー、ヒラリー・クリントンとかミシェル・オバマが言うなら光栄ですが、そういうヒトは決して現れません。
それで、私の今年の収穫は、
Aのパソコンで開くと読めなくなったファイルが、
Bのパソコンに入っていたエディタで開くと読めた
ということです。このファイルには、EXEC という文字がついていました。ネットで調べると、「UNIX実行ファイル」でした。
Bのパソコンで使っていたエディタLightwayは、Aのパソコンでは使えませんでした。いまは、Aのパソコンを主に使っているので、困ったことでした。つまり、Lightwayは、UNIXで作られていたんです。パソコンを使い始めて、30年目にして、またUNIXに出会いました。
れいの「差別文筆業界自負おばさん」となんのカンケーがあるのだということですか?
UNIXの思想は、スモール・イズ・ビューティフル、ということです。
わけのわからん大仰な生き方は関係ないということです。
そのレビューも、たまたま友人の詩集と、ほとんど同じタイトルが付いていたからでした。でも、そのオバハン、他人には関心ないから、友人の詩集も、たぶん贈呈はしていると思うけど、見てもないんでしょうね。
なんかなー。
ウイルスの種類以上に、いろんな人間がいるなー。