「お茶と同情」
大学生の時、映画のアンケート用紙に感想を書いて冊子に載ったことがある。その際の職業として、詩の雑誌に投稿して、ある程度活躍していたので、「詩人」と書いた。それから何年もしないうちに詩を書くことをやめ、何十年も経って、ネット時代となり、また詩を書き始めたが、「詩人」と名乗ったことはその時だけで、一度もない。「詩人」たろうとしたこともない。ただ、詩を再開したら、どんどんできしまい、いまでは、私家版詩集は十一集になる。それは、自然に、「詩人」の方へ寄っていっているのだろうか?
「まず甚だ叙述的な詩がある。知性をほこる詩である。従来の文学ならば散文で叙述したであろう内容、題材が、往往詩でうたわれる」
しかして雨。傘をさしかけてくる青年。
雨宿り。
お茶。
そして
同情。
話題はいにしえの
映画に変わった。