現象の奥へ

【詩】「お茶と同情」

「お茶と同情」
 
大学生の時、映画のアンケート用紙に感想を書いて冊子に載ったことがある。その際の職業として、詩の雑誌に投稿して、ある程度活躍していたので、「詩人」と書いた。それから何年もしないうちに詩を書くことをやめ、何十年も経って、ネット時代となり、また詩を書き始めたが、「詩人」と名乗ったことはその時だけで、一度もない。「詩人」たろうとしたこともない。ただ、詩を再開したら、どんどんできしまい、いまでは、私家版詩集は十一集になる。それは、自然に、「詩人」の方へ寄っていっているのだろうか?
「宋は、中国史のなかばよりのち、継続してあった五つの大帝国、すなわち唐、宋、元、明、清、その第二に位する。王朝の天子の姓は、趙(ちょう)である」と、吉川幸次郎は『宋詩概説』の冒頭で言う。岩波文庫の表紙には、「唐詩は酒、宋詩は茶」とあり、さらに、
「まず甚だ叙述的な詩がある。知性をほこる詩である。従来の文学ならば散文で叙述したであろう内容、題材が、往往詩でうたわれる」
しかして雨。傘をさしかけてくる青年。
雨宿り。
お茶。
そして
同情。
話題はいにしえの
映画に変わった。