現象の奥へ

【詩】「断片についてお話させていただきます」

「断片についてお話させていただきます」

 

今日、NHKBSで見た番組によると、60年前、在日朝鮮人を「人道的に」「祖国」へ返してあげようという運動が起こった。朝鮮総連などが中心になって活動していた。そして、60年後の今、その「人道的」というものの内実を証す資料がいろいろ見つかり、それは、北朝鮮の民主主義国の金めあてが主だったものであるということが、北朝鮮の脱北幹部、韓国の学者、ソ連の元外交関係者の証言でわかってきた。日本で差別されていた「在日」の人々は、「祖国」を夢見て、何万人も、北朝鮮行きの船に乗った。

待ち構えていた現実は、「帰国者」としての「差別」「監視」だった。多くが、収容所へ送られ、金日正は、資本主義国の金だけとって、思想統制はより厳しくした。

ほうほうのていで、何十年かのち、脱北した、元「在日」と日本人妻などが、証言する。楽園と思わされて渡ったら、貧しいわれわれよりもっと貧しい人々がいた。九歳から収容所へ送られた、ある「在日帰国者」の子どもは、公開処刑を二十から三十例見たと語っていた。死体も吊り下げられたままで、カラスがついばんでいたと。

「歴史の事実」は断片的で詳細な資料によって明かされていく。第一次世界大戦の現実も、もとになった、フランスとドイツのジャーナリストが互いに資料を持ち寄ることによってその内実が明かされ、本になっている。

 ときにめちゃくちゃな断片の集積を、「物語性を拒否した映画なんです」と、アホのような自己弁護をする「自称映画監督」がいるが、断片が全体のなかでなにものかであるためには、その断片ごとに「事実」を含んでいなければならず、「事実」とは、生のあかし、つまり「物語」でなければならない。蓮實重彥だかなんだか、まるで「物語」が悪者であるかのように言われるが、もともと「物語」はひとが生きていくのに不可欠のものであり、ひとは「物語」なくしては、発狂するしかない。

 そして、詩とは、吉田健一が辛くも指摘しているように、固有名詞であり、それは、たったひとつの地名でも成立する。たとえば、

 

平壌(ぴょんやん)とか。



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