現象の奥へ

【詩】「フーコーは序文だけでいい……かも」

フーコーは序文だけでいい……かも」
 
ミシェル・フーコーの、処女と言える、ヴィンスワンガーの『夢と実存』の、本文の二倍以上もある序文を精読していたとき、もしかして、ここには、フーコーの言いたいことのすべてがあるのではないかと思った。以降の著書も、そのように、序文にすべてを集約しているのではないか、と。
 
Ce livre a son lieu de naissance dans un texte de Borges. Dans le rire qui secoue à sa lecture toutes les familiarités de la pensée ___ de la nôtre : de celle qui a notre âge et notre géographie ___ , ébranlant toutes les surface ordonnés et tous les plans qui assagissent pour nous le foisonnement des être, faisant vaciller et inquiétant pour longtemps notre pratique millénaire du Même et de l'Atre.(Michel Foucault "Les mots et les choses")
 
(この本はその出生地をボルヘスのテキストのなかに持つ。思考につきもののすべての読解を揺する笑いのなかに──われわれの思考:われらの時代の思考、そしてわれわれの地理の──同じものと別のものについてのわれわれの実際的な、理路整然としたすべての表面、われわれの存在の増大を賢くするすべての見取り図を、永久に、揺さぶり、ぐらつかせ、不安を抱かせる。)(ミシェル・フーコー『言葉と物』)
 
すでに冒頭の第一文にしてからが、われわれを、哲学の深みへと引っ張り込む。これはひとつの文章で、プルーストと同じくらい長い。「思考につきもの」と簡単に言ってのけているが、はたして、「思考」とはなにか? そして、文法的に見るなら、et(そして)で、やたらとつながれている。これは、英語の辞書に紹介されていたように、andは、日本人は、「使わなすぎる」。《and》や、《et》は、存分に並べていいのである。同じ言葉の繰り返しを避けながら、《and》や《et》は繰り返していく。
 
フーコーは、冒頭の一文をこそを、丹念に読むべきである。
 
なお、新潮社の、渡辺一民佐々木明訳の『言葉と物』は、日本語としての「通りのよさ」を配慮してか、かえって、フーコーの文章の意味がわからなくなっている(笑)。
 
んです。
 
これが詩ですか?
さあ?
 
すでに彼はなにかの波打ち際にいて、
諦念
宇宙
データ
握りしめ
死を静かに
見つめている。
 
 
 

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