現象の奥へ

【詩】「L'innommable(名づけ得ぬもの)」

「L'innommable(名づけ得ぬもの)」

 

ここはどこ? わたしはだれ? いまなんじ? なんじとなんじは、いまなんじ? けっこんしきとか、しんぷとか、かとりっくとかをとわずに、今日、海……協会、もとい、教会でおこったできごと。それはてろてろ……どこぞの銃器店でかった、新品の銃をたずさえて、ぬあんちゃって。それをテロとよび、てろてろな脳みそのにんしきぶそくのアイヌ差別。被征服民族がいつも差別される。なりわい。しかし、それさえいまは問わないでおかう。たしかにいまは、ウルサイ。ひとびとのめが監視している。差別語を言わないか。あらゆる言語は差別語であるという考えがある。それはそのとおりなのだ。差別しなければ人は生きていけない。要は社会コードにあるかどうかだ。まだなかったら、差別してもバレない。そういうことだ。すべてすててゆき、よれよれの老人となること。それ以外、最高の死に方があるか。どのようにピカピカだったか、忘れてしまった老人が横たわる棺の、その暗さ、それはMRIのなかと考えることもできる。むしろ宇宙の広さの方が怖い。その恐怖に晒されるよりひとはむしろ棺桶の狭さを選ぶ。そう選択の問題。ひょっとしたら私は、まだ生まれてないのかもしれない。こうしてやっと細胞になったのを、生まれたのと勘違いしているのかもしれない。思い出もないのに、なにか思い出しているつもりになっているのかもしれない。その思い出のなかに時間は流れているのか。時間は存在しているのか。その時間のなかに空間は存在しているのか。自問なのか自問でないのか。いったい自分は存在するのか。その自分の意識はどこからやってくるのか。やってくる。ほんとうにやってくるのか。もしやってこなかったらどうするのか。はたしてどうする。する、のか。するとしたら、しないこととの違いは存在するのか。ローマなのか関ヶ原なのか。東電なのか長野県のダムの底なのか。なぜ広大な森をもつ皇居に、電子力発電所を作らないのか。それほど安全なら。廃炉に四十年かかるとして、その四十年のうちに、あの津波よりもっとすごい津波はやってこないと想定できるのか。すべて時間の問題のように見える地球の問題。では宇宙には問題は存在しないのか。そう私はあそこで、ええと、儀式が行われる場所で、豊作を祈る儀式が行われる場所で、寝ずの番をしていた、ことを思い出す。その寒い夜は、お池で飼われていた鴨のお雑炊がでる。そりゃあ、おいしい野生の鴨ですわ。え? 飼われていたのに野生? そう野生の鴨が棲みついたんです。です? 敬語? 誰かに語りかけている? そう撮影にきたスピルバーグに。こんど「大河」に、徳川家康やります。主演は、アメリカ……じゃなかった、アイルランド国籍の俳優を起用します。だいじょうぶですか? アイルランド人なんか? 大丈夫です。彼は、アメリカ初代大統領、ジョー・バイデンもりっぱに演じました。え? ジョー・バイデン……って、初代じゃないでしょう? いまの……。いま? いまはいつ? 1776年です。ほら! 初代じゃないか! 独立したんだよ、アメリカ合衆国は。ほら、原住民から土地を略奪。そのように書いてますよ、ハワード・ジンは。そのひとだれ? アメリカの歴史学者だよ。ええと、私は棺桶のなかにいて、その俳優の名前が思い出せない。もうだめだな。七十歳雇用法ができても、遅い。私はここまで、隠居老人として生きてこなければならない。六十七、八歳のばばあにいいように扱われて。そのばばあは、まだ自分が魅力的と、どこかで信じ込んでいるふしがある。あーめん。って、あ、祈られるのは私か(笑)。そんな夢を見た。分析者には絶対触らせない私だけの夢だ。他人の夢を勝手に分析するなど、人権侵害だ。私は断固として抗議する。そう、そのだれもいない夢のなかに、鷹が飛んでいる。いましも、獲物を捕ろうとして──。

 

かくして、ベケットは、詩と小説の領界を飛翔する。

 

...ça va être le silence, là  où je suis, je ne sais pas, il faut continuer, je ne peux pas continuer, je vais continuer.

 

(……それは沈黙になるだろう、私がいるここ、わからない、続けなければ、続けられない、続けるだろう。)



 

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