「エクリ」
ジャック・ラカンの『エクリ』の冒頭は、ポーの「盗まれた手紙」についてのセミナーである。そこで、ラカンは、三つの「凝視」について説明し、その「事件」について、警視総監が、デュパンと「私」の部屋に来て話そうとするとき、デュパンは部屋の明かりをつけるのをやめる。話は暗闇のなかで話され、心理が凝縮し、
「シーニュ」に変わってゆくものの姿を見ることができる。さあて、どこからがラカンの説明で、どこからが、植草甚一の考えであるか。植草は、この話を、「朝日カルチャーセンター」でした。「しかし、失敗に終わった」と書いている。問題は、その手紙の中身がどんなものであったか。それは、
実は、ポーは
書いていない。それが、この物語を
何度も
読ませる原因となる。中身のわからない手紙についての
物語。いや、ちがう。ベンヤミンの「物語作家」の物語は、
違う意味を持っている。そうして闇は、
シニフィエをも現していく。わたしは、
「おくのほそ道」を抜けて、「笈の小文」へと入っていく。
わが故郷の物語である。のち、私が通うことになる
保育園のわきの、
東海道を抜け、
伊良湖崎まで。
鷹一つ見付けてうれしいらご崎