現象の奥へ

【詩】「ベアトリーチェのいないボードレール」

ベアトリーチェのいないボードレール

 

ちがうんだよ、ジーサン。法や秩序は、とりとめもない人間の生を解放してくれるものであって、あんたや、あんたのお友達の、覚醒剤が大好物の女性の考えるような、自由を縛るものではないんだよ。結局、ネットは世間であり、探せば、あんたの饐えた過去の断片が落ちている。一方、私は、それはネットを始めた、二十五年前から知っていたから、私の名前を検索しても、せいぜい、私と喧嘩した相手が、なんのかんの悪口を書いているか、私の作品を読んだ有名人が、けなしているものか、私の真面目な研究しか見つけることができない。あんたは、大学受験からして、なにかひどい勘違いをしていて、そして、そのまま、六十年、来てしまった。そりゃあ、若い時には、その高揚感から、それから先も、人生が華やかに開かれていくと思ったかもしれない。しかし、あんたは、もともと、怠け者で見栄っ張りの田舎者なので、判断力も決断力もない。流されて六十年来て、まだ粋がって見栄を張ろうと、犯罪者のお友だちのことを、偽悪的に言ってるだけサ。しかし、ボードレールはそういうふうには生きなかった。女性はけなす対象でしかなかったが、「福音」というものをわかっていた。しかし、その時代はどうしようもできなかった。気づかせてくれるウイルスも表面化していなかったし、飛行機でビルに突っ込むようなテロもなかった。テロのようなものはあったかも知れないが、「情報」の伝播力が微少だった。まさにネットでなければ、こ汚い老人の内面など知るよしもなかった──。はい、さようなら。

 

 今日(けふ)よりや書付(かきつけ)消さん笠の露