現象の奥へ

『MINAMATA―ミナマタ―』──デップ入魂の一作(★★★★★)

『MINAMATA―ミナマタ―』(アンドリュー・レヴィタス監督、2020年、原題『MINAMATA』)

 

ジョニー・デップが『MINAMATA』のユージン・スミスを演じると知った数年前からずっと待っていた。映画は役者によって100%決定される。ゆえにハリウッドのスターは高額のギャラを取り、それだけの価値を提供する。あるときはまったくの無名の俳優がぴったりの役でいっきょにスターになることもあり、あるときは、まったくのミス・キャストで、駄作の刻印を押されたまま人々の記憶から消えていく。

 本作は、なるほど題材は七十年代の公害であるが、それを今さらながらに「告発」することが目的ではない。しかしながら、作品のエンディングに次々紹介される世界の「公害被害」の写真は、いまも、「環境汚染」というイデオロギー的用語と勘違いしている向きのあるなかで、ユージン・スミスや「Life」誌が「ひとめでわかる」形で世界中に「告発」してきた内実がある。

 無冠の帝王ジョニー・デップは魂がむきだしの俳優で、報道写真家魂とはなにかを体現していく。迎える「Life」誌の主幹役のビル・ナイも報道の仕事に携わる人間の心意気を示して快い。一方、いまは失われてしまっている、水俣の住民たちを、被害者を家族を、ひとりひとりていねいに描き出し、美しい水俣の風景(当然、撮影に使われた場所は違う場所かもしれない。しかし、そんなことは映画のお約束である)を描き出す。住民たちと生活をともにし、ユージン=デップは、土地の魂と汚された事実を丹念に追っていく。いま映画に必要なのは、こうした丹念さである。真田広之の熊本弁も堂に入って、これほどまでに魂がこもった熊本弁は、『緋牡丹のお竜』の藤純子以来である。デップ入魂の一作。