「恋」
戀の至極は忍戀と見立て候、逢ひてからは戀の丈が低し、一生忍んで思ひ死する事こそ戀の本意なれ。─『葉隠』「聞書第二」
瀬戸内死んで
真子さんは小室圭さんと
NYへ。
ここに日本国の恋は終わる。
あとはもぬけの殻の
ゲーム。男だろうと女だろうと、
男+男だろうと、女+女だろうと、
すべての恋は
煙と消えた。さういへば、
歌に
戀死なん後の煙にそれと知れつひにもらさぬ中の思ひは
と、上の『葉隠』の引用は続いている。つまり、
死んだのち、煙のなかに
恋であったものが、浮かび上がる。
とうてい私はそのようなものとは縁がない
恋ができる人というのは、
武士であり、
死ぬことをあらかじめ
目的としている人である。
瀬戸内晴美は恋を描きたかったのであるが、
恋とは縁遠い
仏門に入ってしまった。
もう恋はすべて尽くしたと思い込んだ。
得度の日をなぜか私は覚えている。
東光和尚が晴美の黒髪にハサミを入れたのである。
晴美は床に突っ伏して嗚咽
──だったと記憶している。
大江健三郎は、「瀬戸内はだめだ」
と言った。文学的に。
それはハサミより鋭い言葉。
そのせいかどうか
知らぬが、
人生相談の楽しい仏門へ
もう日本のどこにも恋はない。