現象の奥へ

『クライ・マッチョ』──まぎれもない現役感!(★★★★★)

『クライ・マッチョ』(クリント・イーストウッド監督、2021年、原題『CRY MACHO 』)

 

本来老人は生きてきただけの知恵があり、それに自信を持つべきだと、小林秀雄は言っている。いまは、若者を持ち上げ、老人は「ジジイ」と蔑まれ、失われた体力と知力で、途方に暮れている。世の中がそういう仕組みになっている。しかし、本作の、監督、主演、御年九十一歳のクリント・イーストウッドは、老人であることを粉飾して力んでみせることなく、ありのままの現状を提出し、いまのテーマと取り組み、エンターテインメントとしても十分楽しめる映画を作っている。

 物語はありがちな、助け出す未成年者とのロードムービーであるが、追っ手とのドンパチは抑えめながら、身につけた度胸、経験値、身のこなしで、頼まれごとを遂行する。

 恩人の、十三歳になる少年を、メキシコの、だらしない母親から取り戻すのが役目だが、その少年とのふれあいのキーが、動物愛になっていて、マッチョとは、少年がかわいがっている闘鶏の鶏であるが、映画のなかでは、henと言っていたので、雌鶏ではないか? そして、英語で弱虫のことを、chikin(チキン、にわとり)というので、それに抗して、マッチョという名前をつけている。このマッチョが劇中なかなか活躍するし、おそらく虐待されていたらしい少年のあこがれが、マッチョ(男らしさ)なので、この題名には幾重もの意味が隠されている。かつてはロディオで大活躍していたイーストウッドのマイクは、少年に対して、マッチョであることの反社会的な思想もやんわり諭す。

 つまりは、ありがちな少年とのロードムービーも、イーストウッドらしい繊細さ、やさしさ、洗練が込められている。老人の回顧ムービーでもなければ、昔の自慢話でもなく、若者に迎合する話でもなく、今の時代をはっきりと映し、decency(ディーセンシー、上品さ、礼儀正しさ)を保った作品となっている。さらにいえば、題名の「cry maccho」とは、ジャズ・スタンダードの、「Cry me a river」も連想させ、「私のために川のように泣いてよ」をもじり、「(雌鶏の)マッチョよ、おれのために泣いておくれ」となるのではないか?