「愛」
濫用されることによって意味を失う事態となろうとも、
実際に愛とか死とか夢というものがなくなるわけではないと、
いうようなことを吉田健一は書いている。
われ(吉田健一は対談の時に自分のことをこう言うが、
私もならって)も、そのエッセイ集、「思い出すままに」のように、思い出すままに。
愛というもののじったいは、母が、子どもたちが寝るとき、
頭を毛布でおおってくれた、そんな行為ではないかと思う。
それを知らないひとは不幸だが、べつの愛も存在する。
たとえば、自然が与えてくれる光のような。
母は今でも、お経をあげる習慣があり、父方の神道の位牌を、
仏壇のなかに置いている。「しょてんてんくをうって」と言うのが、
私の記憶のなかに染み込んでいる。
「ふぉるくすわーげん」なる言葉を最近混ぜていて驚いた。
弟の車の安全を祈念しているのであった。