現象の奥へ

『現代詩手帖2022年5月号』──ほかの詩誌ではできない内容となっている(★★★★)

現代詩手帖2022年5月号』(思潮社、2022年4月28日刊)

 

 四方田犬彦氏の小詩集に関心があり、購入した。そうそう世間の人は目がいかないが、私は、T.S.エリオット『荒地』のもとになっているテクスト、フレイザーの『金枝篇』と関係があるかな〜?と思ったからで、その小詩集のタイトルが、「金枝」となっていたからだ。なるほど「金枝」とは、「金枝篇」の英語タイトル、『The Golden Bough』そのままであり、最終章のタイトルでもある。この書をどう解するか。「神殺し」から古い神話、古代ギリシアの世界を、作品の最後の註にあるように、「オウィディウス『変身物語』の変奏」なのか。しかし、『金枝篇』が証そうとしているのは、その時代よりさらに古い時代であり、時間的には文化人類学と交差するあたり、伝説ではなく、あきらかな創作(物語)が作られたという「事実」である。博識の四方田氏のことだから、そのあたりのテクスト群を渉猟しているのであろうか。一見深い詩に見える。しかし、読みはじめてみると、これは詩ではない、と感じる。詩は、どんな学歴のないものにも書けるが、また書こうとしても書けないひともいる。四方田氏は後者にあたる。というのも、詩のリズムではなく、散文、氏が得意としているエッセイ、批評の文章なのである。行替えすればいいというものでもなく、形容は紋切り型でほんとうに心に感じたものではない。それらしく見せる。「仏作って魂入れず」が、このひとの詩作法である。しかし、本誌がいちばんの有名人として扱っている通り、なにかの賞が、「もらって〜」と言ってすり寄ってくるかもしれない。

 清水哲男氏が亡くなったのを本号で知った。清水氏は、個人誌を出していて、「生きた証に、生涯出し続けたい」とこの個人誌に書かれていたので、縁あって送っていただいていた当方は、あるとき途切れたので、どうされたのかな?とは思っていた。私は、大学生の頃、本誌の投稿欄に投稿していて、その時の選者が清水氏だった。それから、まあ、多少目をかけていただいていた。清水哲男こそ、「現代詩」を始めたひとであり、その後似たような作風、日常的なことがらをさりげなく描く、そんな作風がはやった。しかし、清水氏は深い教養を隠して描いているのであり、「詩は単純でいいんだ」という考え方とはかなり違う。ご冥福をお祈りいたします。

 本号はそれなり、ポレミックなテーマも書き手も並び、ほかの詩誌ではできない内容となっている。