現象の奥へ

【短編を読む】『桜桃』太宰治

【短編を読む】『桜桃』太宰治(初出、昭和23年「世界」5月号)四百字詰め換算約19枚。

「日本語の勉強のため」編集者のすすめで、「現代短編名作選」(日本文芸家協会編、講談社文庫(であるが、今は入手困難))を読んでいて、10冊あるうちの、第1集である。戦後の代表的な短編が一作家一作ずつ納められ、その第1集めの、本作はその最終作品である。なにも好き好んで太宰を選んだわけではないが、この作はサイテーである(笑)。多くの戦後作家のあいだでも、太宰は若い人に人気のようであるが、なーるほど、芥川賞が取れなかったわけもわかる。石川淳安部公房などと比べれば、この作家は、レベルが低い。テーマも文章も。田舎の資産家の息子が都会に出て「作家ごっこ」をやっていて、自立することができず、身を持ち崩す、その過程が描かれているのかな〜?(笑)
つまらない短編を書いているだけにすぎない「作家」が、所帯を持っていて、すでに子どもが三人いる。いちばん上は七歳、下は乳飲み子である。だからずっと見ていなければならず、「母」(作中、作者は、子どもの立場から、妻を「母」と書き、自分は「父」と書く。子どもがぎゃーぎゃーうるさいので作品が書けない。それで、飲み屋のようなところへ出ていって、そこで「桜桃」が出る。それをたらふく食い、子どもには贅沢をさせないために、食べさせたことはない。そして「泊まっていくぞ」。サイテーな男、いまでいうモラハラ
これに比べれば、明治41年に『中央公論』に発表された、徳田秋声の「出産」は、まったく似たような枚数で、似たような状況を描きながら、文章もすばらしく、品もある。「戦後は堕落した」というのは、その通りである。今はその堕落が底なし沼のようになっている感じもする。どうする山下(笑)?