『フェイブルマンズ』(スティーブン・スピルバーグ監督、THE FABELMANS)──映画の時代の終わりを察知した作りになっている。
映画館で映画を観るという時代は、いまはなくなってないが、すでに終わっている。新型コロナに端を発する、そして戦争や事件や政治によって時代が大きく変わり、新型コロナはパニックを過ぎても、家で過ごすことが多くなる時代、情報を手段としては、ネットもあるが、確実で安定しているのはテレビである。戦争といえば、ウクライナの戦争が、リアルに映し出される時代に、もはや映画がなにかを伝えられる時代は終わった。それに比べ、NHKの朝ドラや大河は、デティールや展開に日常性を入れながら、劇的な展開も持ち込んでいる。この手法に、地味な映画で注目されたオダギリ・ジョーも、『オリバーな犬、ゴッシュ』をNHKで展開し、上記のような持論を吐露していた。
さすがのスピルバーグも、切れ味のいい映画に慣れている観客からは、「どうしちゃったの?」と不満の声もあがっている。しかし、このスタンスは、すでにして「テレビ」なのである。自伝的な映画を、これ以上にないリアルさと日常性で見せる。
彼はいかにして映画監督になったか、が、じっくりと語られる。そういう映画である。聞けばすぐにユダヤ人とわかる名字を逆手にとって、スピル「バーグ」も、ホフ「マン」も「堂々と生きる」。「ロンドン」という都市の名前も、ユダヤ系という。フェイブルマン「ズ」。つまり、フェイブルマン一家の物語である。
かつては若者であった、父親役のポール・ダノ、やはりかつては少女であった、母親役のミシェル・ウィアムズ、両名優に自分の過去を託した一本である。