現象の奥へ

【詩】「そして、船はゆく」

「そして、船はゆく」

アシェンバハは五十歳の誕生日に
とるものもとりあえず
旅に出る。
船旅。
ボルヘスは「船旅」という題の詩の第一行目に、
「海は無数の剣であり、満ち足りた貧困である。」
と書いている。はて、
アシェンバハにとって、
海とはなにか?
作者のトーマス・マンはまだ三十代で、
五十男を嗤っていた?
モデルはマーラーと言われ、
小説の主人公アシェンバハは作家だった。
音楽と文章
の差異のなかに込められる空間こそ
海である。
そしてそこに、当然のことながら、
若く美しい少年がいる。
そのまなざし、
その輝くような肌、
アシェンバハは手を伸ばしこときれる。
入れ歯と鬘と化粧でおおはしゃぎの
すれ違う船の老人を
冷ややかに見つめている
アシェンバハとマン。
どちらがどうなのか?
どうせ私は五十歳で最高の死に方をする。
そして、船はゆく。