「夜行(よるのたび)」
唐、宋、元、明、清、
のうちの宋の時代は平和で、
教育は農村にまで届いた。
強固な中央集権によって、
平和が確保された。
最後の皇帝、徽宗(きそう)の崇寧(すうねい)年間、
一一〇〇年ごろの、
人口は四千六百七十三万四千七百八十四、
男子のみとの説あり。
蘇軾の弟子すじにあたる晁冲之(ちょうちゅうし)
「夜行(よるのたび)」なる絶句をしるす。
老去功名意囅疏
老い去りて功名の意(こころ)は転(いよ)いよ疎(おろそ)かなり
獨騎痩馬取長途
独り痩せ馬に騎(の)りて長き途を取(たど)る
孤村到暁燈火
孤村暁(あかつき)に到りて猶お灯火
知有人家夜讀書
人家の夜る書を読む者有るを知る
公務員試験に何度も落ちたわたしは
不遇をかこち馬上、夜道を急いでいる。
ふと見れば、こんな片田舎の夜明けに近い時間、
まだ灯のついている家がある。
かつてのわたしのように、受験勉強している青年があすこにいるのだ。
一一二六年、敵が攻めてきて、金や成吉思汗と対峙しても、
内部の平和は保たれた。
一方日本は、保元平治の乱、源平の戦いに、
いまのスーダンのような状態であったが、