現象の奥へ

【詩】「鴉、あるいは、リゾーム」

「鴉、あるいは、リゾーム


この、と、あえて言えば、いわゆる「コロナ禍」は、ジャレド・ダイヤモンドの指摘のように、野生動物の家畜化によって、

起こるべくして起こった。つまり、

野生動物を食べることによって。しかし、リゾーム

そんな物語さえ一顧だにせず、

ただ、ここに、


「一冊の本というものには対象(オブジェ)もなければ主題(シュジェ)もない、種々さまざまな具合に形作られた材質とか、それぞれまったく異るいろんな日付や速度とかでできているものなのだ」*


プルーストが自分の作品を大伽藍(カテドラル)に、あるいはドレスになぞらえるとき、それは美しき全体としての〈ロゴス〉に訴えるためではなくて、まったく逆に非完成への、縫い合わせと繕いへの権利を顕揚するためなのだ」(『プルーストとしるし』)*


「われわれはわれわれのヴィールスでもってリゾームになる」*


エピステーメー」昭和五二年十月十日に出た臨時増刊号で、ドルゥーズーガタリは、奇しくも四三年後の「コロナ禍」を「予言」している。まさに、世界は、リゾームになった。


あえて「昭和」と奥付に書かれ、西暦はひとつも見当たらぬこの「ザッシ」の出た西暦をあえて記せば


1977年

ロッキード裁判の始まった年であり、「君が代」が日本「国家」となった年であり、王貞治が、「本塁打世界最高(756本)」で、国民栄誉賞第一号受賞となった年である、


だが、鴉は相変わらず枯れ木にいて、

芭蕉翁を

待っている。

 

くあ〜(Never more)



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*「エピステーメー」創刊二周年記念十月臨時増刊号(1977年)『リゾーム』(G・ドゥルーズ、F・ガタリ)よりの引用。

 

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