現象の奥へ

『スティルウォーター』──後味が悪い(★★★)

『スティルウォーター』(トム・マッカーシー監督、2021年、原題『STILLWATER』)

 

マット・デイモンは見ていて安心する演技をする役者なので、映画を選ぶ際の基準になる。本作もそういう期待で見たが、デイモンの演技は手堅いものであったが、脚本、演出が冗長であり、ポイントも途中でズレそうになって安定しなかった。魅力的な人物もおらず、ただ、アメリカのブルーカラー父さんが、殺人罪で捕まっている娘を助けるために、マルセイユに渡る。そこで、いかにも「おフランス的」状況に巻き込まれる。娘役は、『リトル・ミス・サンシャイン』のおしゃまな女の子を演じたアビゲイル・ブレスビンで、当時は、五歳くらいと思われたが、この映画では、20代前半といったところだろうか。流暢なフランス語といい、なかなかの演技派に成長している。

 しかしまー、なんというか、確かに、紋切り型ではなく、カタルシスもなく、現実というのは、こんなものだろうかと思わせる、貴重な作品となっているが、それだけでは映画としてよい点をあげるわけにはいかない。なにより、後味が悪いのである。




【詩】「詩人」

「詩人」

 

生まれてこのかた得た語彙を使い、

ある感覚を信じて展開するのは、整合性のある文章ではなく、きれぎれの

断片。ポオなのかシェークスピアなのか、

それとも、自称映画監督のジジイか

詩人よ、そなたと時との競争は、

はじめから悲惨な結果がわかっているAIを知らない棋士のやうに

無様だ。むしろ無様さこそ、

栄光と知れ。詩人よ。

賞や賞賛を求めるのは、生活するのに十分な金が得られないからだと、

そう書いたのは、フランス文壇を評したサマーセット・モームだったが、

It is because the financial rewards of authorship are so small

どこへでも行け、詩人よ!

そなたを褒めそやしてくれるクズどもの群れへ!

そして、陽に干されたコオロギのように、




【詩】「新型コロナ・ウイルス」

「新型コロナ・ウイルス」


細胞の突起の形が王冠に似ていたから、スペイン語からそう名づけられた。

昔から存在していたが、「新型」と呼ばれたのはすでに変異していたから。

かといって、生物ではない。

まるで意志があるかのように動く。

しかしきみだって、五月の花は愛するだろう。

きみに教えてあげよう、あのひとは死んだ。

一度だけ会ったことのある人、会って食事をした。

美、知性、地位、すべてを持っていたひと。

ネットで探せば出ている死亡記事。

結婚した様子はない。

詳しい死因はわからない。

きみが関係していたのか、あるいは、べつのウイルスか。

ここに書き留めることによって、あのひとの魂を保存しよう。

ねえ、新型クン。





 

 

『クライ・マッチョ』──まぎれもない現役感!(★★★★★)

『クライ・マッチョ』(クリント・イーストウッド監督、2021年、原題『CRY MACHO 』)

 

本来老人は生きてきただけの知恵があり、それに自信を持つべきだと、小林秀雄は言っている。いまは、若者を持ち上げ、老人は「ジジイ」と蔑まれ、失われた体力と知力で、途方に暮れている。世の中がそういう仕組みになっている。しかし、本作の、監督、主演、御年九十一歳のクリント・イーストウッドは、老人であることを粉飾して力んでみせることなく、ありのままの現状を提出し、いまのテーマと取り組み、エンターテインメントとしても十分楽しめる映画を作っている。

 物語はありがちな、助け出す未成年者とのロードムービーであるが、追っ手とのドンパチは抑えめながら、身につけた度胸、経験値、身のこなしで、頼まれごとを遂行する。

 恩人の、十三歳になる少年を、メキシコの、だらしない母親から取り戻すのが役目だが、その少年とのふれあいのキーが、動物愛になっていて、マッチョとは、少年がかわいがっている闘鶏の鶏であるが、映画のなかでは、henと言っていたので、雌鶏ではないか? そして、英語で弱虫のことを、chikin(チキン、にわとり)というので、それに抗して、マッチョという名前をつけている。このマッチョが劇中なかなか活躍するし、おそらく虐待されていたらしい少年のあこがれが、マッチョ(男らしさ)なので、この題名には幾重もの意味が隠されている。かつてはロディオで大活躍していたイーストウッドのマイクは、少年に対して、マッチョであることの反社会的な思想もやんわり諭す。

 つまりは、ありがちな少年とのロードムービーも、イーストウッドらしい繊細さ、やさしさ、洗練が込められている。老人の回顧ムービーでもなければ、昔の自慢話でもなく、若者に迎合する話でもなく、今の時代をはっきりと映し、decency(ディーセンシー、上品さ、礼儀正しさ)を保った作品となっている。さらにいえば、題名の「cry maccho」とは、ジャズ・スタンダードの、「Cry me a river」も連想させ、「私のために川のように泣いてよ」をもじり、「(雌鶏の)マッチョよ、おれのために泣いておくれ」となるのではないか?


【詩】「仮説」

「仮説」

 

物質とはわれわれにとってイマージュの総体と、かのひとはいふが。

いま宋では月明かり美しい夜がひとの、

心を撓わにゆらしてゐる。

観念論でも実在論でもなく、

イマージュはイマージュとしてそこにある。

事物と表象の、

宇宙は割れて、

恋なのかペンギンなのか、それとも、

ただの魚影なのか。

心理と生理の

記憶をゆけば、かなし母。空間は、

殺して、自然が与えてくれるものを

受け取れ。運動だけが目覚め、

不条理のさたを、




【詩】「豚とカツオの鎮魂のためにボードレールを」

「豚とカツオの鎮魂のためにボードレールを」

 

人間の、しかもジジイのための、心臓移植に使われる心臓を提供させられた豚よ!

かわいそうに! やすらかなれ!

たって、やすらかにできるわけもない。

一方、焼津では、漁師が捕ったカツオを、魚魚組合関係の業者が、二十年にもわたって「荷抜き」していた。その額、数十億円。

驚いたことだが、日本では、捕獲された魚の量をその場で計り記す、という習慣がなかった。ノルウェーなどではあたりまえのことが、なされてなかった。

つまり関係者による窃盗が習慣になっていた。責任を押しつけられそうになり、自殺した職員もいるという。

そんな人間の勝手を押しつけれた豚とカツオの魂のために、

ボードレールの詩句を捧げます。

Lorsque, par un décret des puissances suprêmes,

Le Poëte apparaīt en ce monde ennuyé,

卓越した力の意志力によって詩人がこの世界で悩まされているとき、



 

 

【詩】「あるいは裏切りという名の犬」

あるいは裏切りという名の犬

 

題名はフレンチノワールの映画の題だ、ダニエル・オートゥイユという俳優が出ている。

原題は、36 QUAI DES ORFEVRES

オルフェーブル河岸36番地、つまり、パリ警視庁の住所。

警視たちが、次期長官の座を争って、どんどんぱちぱち。

正義もへったくれもありはしない。しかも、

これは実話だという。「キシダメ(岸田某)」もオミクロンも、

顔負けだ。これに、NHK大河の松平健平清盛像が重なる。

わが故郷、豊橋の男だ。たしか記憶では、

ORFEVRES というのは、銀細工みたいな意味があったような……

セーヌ河岸に、銀細工師が集まっていたのでは?

肉体は朽ちる。しかし、記憶は朽ちない。

記憶には仕事がある、すなわち、

夢を形成するという。ちょいと前なら覚えちゃいるが、

八百年前だとちとわかんないな、裏切りだけが人生だ。