現象の奥へ

母、山下みゆき(90歳)の水彩作品「小手毬と水仙又は花瓶の花」

母、山下みゆき、「小手毬と水仙又は花瓶の花」

 

脳梗塞で動かない方の右手で描いています。描いているときは、痺れを忘れるとか。ちりめんじゃこ大好きで、自分の歯は20本以上)

 

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【AmazonPrimeVideo】『狼たちの午後 』──映画的思考の欠如(★★★)

狼たちの午後』(シドニー・ルメット監督、1975年、原題『DOG DAY AFTERNOON』)

ホアキン・フェニックスがなにかのインタビューで、『狼たちの午後』こそ映画らしい映画、こういう映画に出たいと語っていたので、プライム・ヴィデオで観てみた。当時からそう古くない実話がもとになっているとしても、今のアクションものと比べて、たとえば、イースト・ウッドの実話ものに比べても、かなりもたもたとして、いいところを突きそうで、的を外している感が否めない。
 ものすごくかわいい顔の主演のアル・パチーノも、2021年御年80歳になるが、この映画の当時は20代にも見えるが、意外にも年がいっていて、35歳であった。「名優」の殿堂入りしているが、この映画の役柄の複雑な内面を完全には理解できてないようにも見える。つまり、前科のあるチンピラ男であるが、階級相当のデブ女を妻にし、幼い子供も二人おり、母親も決してよい母とは言えない女である。しかも、そのうえ、彼は、男と結婚していた(笑)。その相手は精神病院におり、パチーノが仲間と銀行強盗人質事件を起こすと、「説得」のために、そこから連れてこられる。そして、複雑な、主演サニーの生が露わになる。当然のことながら、「強盗」ー「海外への逃亡」は成功せず、強盗先の銀行から人質を連れ空港まで警察あるいはFBIが用意したバスで行ったはいいが、バスから飛行機に乗り換える隙をついて、相棒は警察によって額を打ち抜かれ死亡、サニーは、「懲役20年の刑を受けて今も服役中である」との字幕が出て終わる。
 おそらくルメットはこの主人公の内面の、性の嗜好の二重性に興味を持っただろうが、今でならともかく、さすがに45年前では、映画の中では、ニューヨークのゲイたちが、ヤンヤの喝采をするシーンもあったが、映画の評価までは行かなかったであろう。というか、そこまで持って行く力、映画的思考が欠けていると思われた。監督としてのルメットも、名誉賞以外は、アカデミー賞はひとつも受けていない。エンターテインメントの監督としては、その程度の監督だったのである。脚本の切れ味もよくない。ホアキン・フェニックスは、このパチーノの役がやりたかったのだろう。彼ならもっとうまく演じられたような気もするが、今となっては、こうしたキャラは凡庸な役柄のような気がしないでもない。ま、ホアキンも、その程度の役者だったのかも……てな映画でした〜(笑)。

 

【詩】「千賀家具店」

「千賀家具店」

無関心の音楽
こころ 時間 空気 火 
恋人たちの地すべり的沈黙の砂
彼らの声をかき消してくれこうして
聞こえなくなる
私は黙る
千賀家具店は
父が勤めていた家具店で
お正月には父に自転車で連れられていった
こたつの上に四角い重箱が何段か
重ねられたものがって
「どれでも好きなものを食べていいよ」
と言われたので
いちばん上の小エビの赤黒い佃煮用のものを
箸でつまんで食べた
ような気がする これが
おせち料理というものだ と思った
生涯最初のおせち料理
帰りに父の自転車の子供用椅子に乗ったら
「まあ、りんごのようなほっぺだね!」
と店の女の子たちに言われた
遠い
記憶と時間が
春の雨のように
入り混じり いつか出会う
Bのことを
考えた。

musique de l'indifférence
coeur temps air feu sable
du silence éboulement d'amours
couvre leur voix et que
je ne m'entende plus
me taire

***
Samuel Beckett, "Poems in French", POEMES 1937-1939 より引用)


【昔のレビューをもう一度】『孤独のススメ』──性別のない、ただの愛(★★★★★)

『孤独のススメ』(ディーデリク・エビンゲ監督、 2013年、原題『MATTERHORN』)
2016年5月12日 9時38分

 なにやら北欧映画風の清潔さ、簡潔さ。おもしろくもない日常を送る孤独な初老の男の前に、「過去と言葉を持たない」(と解説にあった)男が現れ、ひょんなことから同居生活を始める。ここはオランダの田舎町で、あるのは、教会、スーパー……。そのスーパーさえ、お役所のような外見をしている。バスを降りて、家へ帰る途中に、「羊さん」や山羊さんを飼っている家があるのは、いかにも、オランダの田舎町である。
 初老の男、フレッドは、何事にも几帳面な性格で、きちんと用意した夕食も、姿勢を正し、時計の針がきっちり六時を指したとき、お祈りを始め、そのあと食べ始める。そんな生活に、「なんとなく」、得体の知れない男を加えてしまったのは、やはり孤独に耐えられなかったからだろう。
 近所の男、教会の関係者か、首からカメラを提げて、写真が趣味なのだろう。実は、この男も、その得体の知れない男に関心を持っていて──(笑)。おそらく牧師でひとり暮らしをしている。彼は、愛する女性をフレッドに奪われた。しかも、その女性は事故死してしまったので、二重にフレッドを恨んでいる。
 フレッドは、天真爛漫な得体の知れない男と、男が「羊さん」のマネをするので、いっしょに芸をやって稼いだり、その金で、二人でマッターホーンへ旅行しようとする。資料請求のために入った旅行社の女性が、いかにもオランダ風な親切なブロンド女性である。こういう細部が、もったりと、北欧でも、スウェーデンフィンランドノルウェーデンマークアイスランドとは全然ちがう。どこか親しみがわく。というのも、日本はオランダと昔から親好があったのは、やはりどこか似通った情のようなものがあったのだろう。
 で、やはり、これは、それらの北欧が提供してきた映画のように、やもめ暮らしの中に飛び込んできた得体の知れない男は、得体の知れないまま、消えたりするのかなと思っていると、さにあらず、映画の茫漠としたどこか寂しい広い空間がとたんに狭くなっていく──。つまり、旅行社の感じのいい女性は、得体の知れない男の妻であり、彼女によって、その男の奇態が事故によるものだと明かされる。すぐにどこかへ消えてしまう癖があったが、やっと「居心地のいい場所」を見つけたのね。今後ともよろしく、などと言われてしまう。
 フレッドは得体の知れない男と正式に同居しようと、役所に手続きに行く。その時、男が持っていた身分証明書で、男の名前はテオと知れ、先ほどの妻の住所がわかった。テオは、おそらくフレッドを慰めるため、フレッドの妻の服を着て、「結婚する」などと口走り、教区の人々の顰蹙を買う。
 あるとき、フレッドは酒に酔い、ゲイバーのようなところへ行く。そこには、ゲイの人気歌手がいて、すぐに飛び出すのだが、実は、この歌手こそ、フレッドが追い出した、実の息子だとわかる。
 そうやって、そう多くはない登場人物のすべてが繋がっていく。空間は狭くなるが、なにか温かみを帯びてくる。フレッドは、ホモの息子を許せなかったが、彼は理解する。それは、自分がテオにホモセクシャルな愛を感じたからではない。本作は、愛についての映画であるが、その愛には、「性別はない」。ただ、愛なのである。それで、フレッドは、近所の牧師の心も察し、テオと三人で、その牧師の家で夕食を取る。バスルームを借り入ってみると、暗室になっていて、そこで、牧師の撮った写真でフレッドの妻の、若き日の最高の姿を見る。テオも真正面から撮られたものがあり、それにも撮影者の愛が写っていた──。今晩はこの家に泊めてもらいなさいとフレッドはテオに言う。
 すべての孤独は癒され──。フレッドはテオと「結婚」し、マッターホーンへ出かける──。だが、そこに性的なものはなにもない、ただ、愛があるのみ。

 

【昔のレビューをもう一度】『ファナティック ハリウッドの狂愛者』

◎こんな映画を作ってしまうことじたい(今の日本みたいに?)激ヤバ

『ファナティック ハリウッドの熱狂者』(フレッド・ダースト監督、2019年、原題『THE FANATIC』)

 役者で観る映画がある。トム・ハンクスダイアン・キートンジョン・トラボルタ……などなど。彼らが出るといえば、とりあえずは観ようと思う。そのトラボルタが、熱狂ファン(ストーカーじゃないっ!(笑))に扮するとある。コピーは「トラボルト史上最狂」。そして、おかっぱ頭に派手なアロハ、半ズボン、リュックのヤバい姿のトラボルタの写真。展開としては、熱狂的な読者が作家を「捕らえて」ベッドに縛り付け、切り刻んでいく、『ミザリー』を思い出したが、ああいう展開でもなかった。というのも途中、トラボルタ扮するムースは「愛する」スターをベッドに縛り付けたはいいが、そのヒーローにうまいこと言われて信じ、縄をほどいてしまって、その俳優から、銃で反撃され……いや、もう攻撃に近い。このスター、最初から、なんらカリスマ性のないイヤな男で、これがヒーロー? なのである。その邸には、セコムのような監視装置はまったく配備されていないし、その俳優から最初に攻撃(サイン用のペンで腹部あたりを刺される)されても警察の介入はまったくない。やっと最後になってムースがその俳優から銃で指を吹き飛ばされ、さらにナイフで刺され、命からがら逃げてから、やっと警察が現れ、その俳優を逮捕する──だいたいそのあたりで終わる。なんちゅう映画だ?!
 アメリカのオッサンの天才バカボンみたいな格好のトラボルタが、現実の彼とは真逆の役を演じるのだが、設定にはリアリティが見出されず、暴力が丸出しで、イヤな感じになるだけ。そこが致命的である。しかし陰気な感じの音楽と、漫画的を導入したところはちょっとしたセンスが感じられる。

 

【詩】「ベケット遊び」

ベケット遊び」
 
elles viennent
autres et pareilles
avec chacune c'est autre et c'est pareil
avec chacune l'absence d'amour est autre
avec chacune l''absence d'amour est pareille
 
they come
different and the same
with each it is different and the same
with each the absence of love is different
with each the absence of love is the same
 
彼女たちがくる
ちがっていて同じだ
ひとりひとりちがって同じ
ひとりひとり愛の不在はちがっていて
ひとりひとり愛の不在は同じだ
 
うえの詩を、ベケットはまず英語で書き
つぎに自分でフランス語に訳した
英語とフランス語では
全然ちがって
まったく同じだ
ちがうと同じは
ちがっていて同じ
愛の不在は不在の愛とは
ちがっていて同じ
 
こうしてわたしはある日
ベケット遊びをしました
それはちがっていて
同じ日