現象の奥へ

【今井義行の最新作、「僕は、62才には、なるでしょう。」】

【今井義行の最新作、「僕は、62才には、なるでしょう。」】

ダンテの『神曲』が書かれている言語は、ラテン語めいていながら、ラテン語に近い、中世期後期のイタリア語で、当時の庶民は誰でも読めた。そして、誰もが知っている聖書の地獄絵を言葉で描き、ひとびとを怖がらせた。わが「論語」についても同じようなことがいえて、絵空事のようでありながら、まぎれもない事実であった。
さて、わが今井義行の描き出す、いまではよく耳にするデリヘル嬢などとのエピソードも、まぎれもない事実である。それを詩人今井義行は、私事を暴露するように語る。お上品な読者は「ひく」か(笑)。しかし、ここには、異化という、自分のことさえ客観的に眺める、文学的操作が入っていて、それがなければ、週刊誌的な赤裸々な手記である。今井は最初から異化の動作をよく獲得していて、なにを描こうと、安心して読める文学となっている。
さて、今回のテーマは、今まで誰も描いて来なかったことである。作中のなかで語られる「もうじき来る初老」、それは、「中年の終わり」の時期である。そして、「中年の終わり」とは、かろうじて性的欲望や魅力が認められる時期である。これは男女同じと思われる。つまり、「ジジイ」か「ババア」になる寸前の、見過ごされがちな、人生においての、最後のともしびのような時期である。それを今井は描いて見せた。

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