現象の奥へ

【今更ながらの劇評】「緒形拳と串田和美のゴドーを待ちながら」

【今更ながらの劇評】「緒形拳串田和美ゴドーを待ちながら

串田和美演出、緒形拳串田和美の『ゴドーを待ちながら』が、福岡の「西鉄ホール」で上演された。そら、期待して観に行ったワ。しかし、ぜーんぜん、おもしろくなかった。西鉄ホールはおそらく500席程度の、どちらかといえば、小規模な劇場で、「ゴドー」の舞台は、円形舞台、プロセニアムアーチ(いわゆる箱形で、客席と舞台には緞帳(幕)で仕切られている)ではなかった。どちらが前か後ろか、わからくなっている。舞台も低く、すぐそこに俳優がいるように見える。とくに期待した緒形拳の演技が地味すぎて、なにをやっているのか、わからなかった。参考までに言っておけば、額縁舞台(いまのプロセニアムアーチ)は西洋近代劇からの輸入品で、江戸時代の歌舞伎が、ああした舞台でやられていたわけではない。照明つかいほうだいで、松竹さんの歌舞伎は上演されているが、観客はなにを見せられていることやら(笑)。江戸時代の劇場の形を残しているのは、嘉穂劇場である。私は、ここで、つかこうへい演出、藤山直美主演の芝居を観たが、感心した。藤山の身体がぴったりますで仕切られた古風な劇場にはまっていた。舞台、つまり演劇空間は存外大事で、私は大学時代から、二十年くらいは、劇場の研究をしてきた。ニューヨークのオフオフ・ブロードウェイの劇場にも行ったが、残念ながら、私がそこに辿り着いたとき、演出形式は、いかにもの、オフオフ形式であったが、形骸化し、60〜70年代の息吹はあとかたもなかった。