現象の奥へ

【詩】「ボヴァリー夫人、あるいは、絶望という名の電車」

ボヴァリー夫人、あるいは、絶望という名の電車」

Nous étions à l'Étude, quand le Proviseur entra, suivi d'un nouveau habillé en bourgeois et d'un garçon de classe qui portait un pupitre.
ぼくらが自習にいると、校長先生がブルジョワの新入りと勉強机を持ったコヅカイを連れて入ってきた。
この新入りがのち、その妻が不倫にのめり込み、
ボヴァリー夫人」と呼ばれるのだが、果たして、
「ぼくら」の「ぼく」とは誰なのか?
Kさんは不倫はしなかったが、同様に死んだ。
夫は詩人でKさんも詩人だった。
夫は周囲に箝口令をしき、
のち再婚して「しあわせ」になった。
私は彼らの同人誌に入っていて、結婚祝いもあげた
関係だが、夫だった男は
私から逃げ回っている。
何十年もなんの接触もないのに。
あるいは、Kさんが、私の背後に見えるのかもしれない。
ブロックしているならちょうどいい。
ここにはっきりと記録しておこう。
Kさんの魂を鎮めるために。
絶望するには素質がいる。
そういう素質がなければ、なかなか死の方向へ進めるものではない。
たしか、ボヴァリー夫人を映画で演じたのは、
イザベル・ユペールではなかったか。
原文は明確で思想がある。
その思想は、不倫物語ではなく、
写実だ。事実だけを書いていく書き方。
最後は、夫、ボヴァリーの死で終わる。