現象の奥へ

『ミッドナイト・ラン』──映画が端正であった頃の夢のような映画

『ミッドナイト・ラン』(マーティン・ブレスト監督、1988年、原題『MIDNIGHT RUN』)

 同監督の『セント・オブ・ウーマン』(これは自分が購入していたDVDで再見したが)に感心したので、この作品も、AmazonPremireのレンタル(¥199)で「再見」した。とはいえ、ほとんど覚えてなかったのだが、45歳くらいのデニーロが、どこかキアヌ・リーブスを思わせるイケメンで新鮮な感じがした。元市警の賞金稼ぎ(デニーロ)と、マフィアの会計士(チャールズ・グローディン)だったが、汚い金に嫌気がさして持ち逃げ、マフィアとFBIに追われる男を、バウンティハンターが捕まえて、NYからロスへ向かう。そこでは、「保釈金・金融」も待ち構えている。そういう商売があったのだ。警察のすぐ近くに店を構え、保釈金を貸し付ける。ホンマなのかね〜?
 まあ、そういう、何事にも実際的で細かい男と、わりあい気の荒い元警官とのロードムービーで、このテの二人は、性格正反対がお約束。そして、いっしょに「しかたなく」旅するうち、お互いの共通点にも気づく。すなわち、悪が許せない……なこと言えるような二人ではないが、巨悪というのか組織的悪というのは、人間的退廃というのか、そういうのになじむことができず、組織からはみ出してしまったのがデニーロで、会計士のチャールズ・グローディンも、似たようなもの。マフィアが汚い手法で集めた金をそっくり盗んで、慈善団体に寄付しちまった会計士。
 映画の作りはやはり端正で、こういう、一見ドタバタ風も、ひとつひとつのカットが美しいのである(ここ十年ほどの、荒っぽい映画しか観てない観客は、「まだるっこしい」という感想を持つ)。そして、デニーロは本人が「今までやったなかで、いちばんすき〜」な役だそうで、それは、わりあい地味目なのだった。
 そう、アクターズスタジオ出身は、パチーノも同じで、ここでは、スタニスラフスキー・システムを教えている。簡単にいうと、「なりきりテク」。用語でいうと、「感覚の記憶」。自分の内面を架空の状況に合わせていく……。なんであんたそんなこと知ってるの? はい、大学で習いました(どこの大学や〜?(爆)。まー、そんなこと教えている大学はそうそうないでしょ〜(爆))。
 本作は、『セント・オブ・ウーマン』(1992年)より4年前なれど、その間に作品はないんです。『セント・オブ・ウーマン』の方がよりこなれてますけどね。……という、映画が端正な芸術作品であった頃の、夢のような映画です。