現象の奥へ

【詩】「鴉(The Raven)」

「鴉(The Raven)」
 
二年前愛犬が死んだ時、京都の寺へ彼女の生まれ変わりに出会えることを祈願しに出かけたその留守を狙って(夫は外国へ行っていたから、完全に無人だった)、ベランダのシンクの棚に置いた、使い古して薄くなった石鹸を、石鹸箱に大量に積んでおいたのがごっそりなくなっていた──
それは鴉が盗んでいったのだった。
これまでもマンションの庭の木々に鴉がとまっているところは見ていた。石鹸もひとつやふたつは持っていったかもしれない。
だが家が完全に留守と知った鴉はそういう大胆な行為に出た。
それからも、鴉は石鹸を狙うようになった。
蓋をしておいても蓋を取って、もっていった。石鹸は「ミューズ」という薬用石鹸でわが家ではそれを入浴用にも使っている。つまり普通の石鹸より消毒用の物質が入っているのではないか?
鴉はそれをどうするのか? もちろん餌にするためだ。
しかしコロナ禍が起こり、石鹸はいっこうに盗まれず、鴉の姿も見かけなかった──
ついに鴉もコロナにやられたか。
科学者によれば、ウイルスの「宝庫」はコウモリである。
しかし鴉もさまざまな菌を持っていそうだ。
そんな鴉ではあるが、やや心配した。
そして昨日、木にでっかい鴉に似た鳥がとまっているのを見た。
すぐに「ベランダの石鹸を盗んでいく大鴉よりも」という表現を思いついた。それを詩にしようと思った。
ポーの作品と思っていたが、ポーが書いたのは、「The Raven(鴉)」であって、「大鴉よりも」などという文句は、竹内統一郎という劇作家の作品だった。それは1980年のこと、前衛劇運動が過ぎ去った頃の演劇だった。その頃の演劇人の多くにありがちの、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の影響を受けて、
三人の男が、大きなガラスを運んでいくが、なんのために、どこへ? なのか、わからない。
それをのちに、三人の女にして再演され、片桐はいり、などが出た。ユーチューブで見ると、片桐が例のスタイルの芝居をして、「受け」を狙っていた。ユニークなよい女優であるが、その笑わせる演技は、見ようによって「受け狙い」に見える──
ナマの片桐はいりを見たことがある。劇場の席の一列おいて前の列に座っていた。俳優とは思えない静けさを保っていた。そこは「ご招待」の列のようで、左隣は、真田広之手塚理美の、そのときは、夫妻だった。この三人は、ただの一度も口をきかなかった。
その後、真田と手塚は離婚した──
どーでもいいことながら、鴉よ鴉、そんなゴシップを思い出してしまったではないか。
鴉は答えた、
 
 Nevermore.