「恐怖という名のアレゴリー」
私がこれまで読んだ最も恐ろしい物語は
ヘンリー・ジェームズの「友だちの友だち」という短編で、個人名はいっさい出てこない。話者が友だちともうひとりの友だちを会わせる話で……いやちがう、話者の知人が書いていた話で、会わせようと思っている二人が、偶然が重なって最後まで会うことがない……その偶然の重なりがしだいに恐怖に変わる……
だったかな? 恐ろしかったということしか覚えていない。
それからウィルキー・コリンズの『白衣の女』これはまだ途中、文庫で三巻ある長編だ。第一巻の五十ページほどで、すでに恐くなる、というのも、画家が夜中帰宅途中の寂しい道に突然白衣の女が現れて、ロンドンまで同行してくれという……それだけですでに恐いのだ。
恐怖とは未知であること。その未知を想像が埋める。その想像のなかに、恐怖が含まれる。
つまり、何を書き
何を書かないか。
そして読者の憶測を激しく超えていく
いったいそこには何が書かれていないか。
*「われわれすべてにとって、アレゴリーは美的過失である」
J.L.ボルヘス
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