現象の奥へ

【詩】「ベケットが訳すランボー」

ベケットが訳すランボー


Arthur Rimbaud
Le Bateau Ivre
ふつう、「酔いどれ船」と訳されているこの詩。なるほど
Bateau は、フランス語では大きな船も小さな舟もさす。
しかし、ベケット訳は、Drunken Boatとしている。それは
ボートである。そして、「その中で起こっていること」は、
アメリカインディアンによる、船員の虐殺?
のような光景で、
静かな川を下っていたワレは、
インディアンによって、船員が串刺しにされ、でも、
フラマンの穀物と、英国の綿の積荷は無事で、
また俺は静かに川を下っていく……
みたいな。
私の解釈は違っているかもしれない。
しかし、「表現」は、ベケットによって、「縮小」され、
より「具体化」され、
よく日本人(小林秀雄も含め)が訳すランボーのように、
大げさに華麗に、デカダンに 観念的に
あったものが、
惨めな生になっている。
たかが恋なんて
惨めな暮らし
難破船……あれ?
またこの歌が口をついて出てきた(笑)。