「柳」
うちはお茶屋で、玄関先に茶箱とその上に計りをおいて、お茶を商っていました。
父母は勤めており、父母が留守のときは、
小学生の私がもっぱらお茶を量り売りしていました。
お茶屋をやったのは、父の実家でお茶を製造していたからです。
「川柳」というのは、スターバックスでいえば、「ハウスブレンド」です。
柳は中国では春の別れに手折って渡します。
もう少し上級のお茶も置いていましたが、名前は忘れてしまいました。
借家の一軒屋の外に、どこかでもらったのか、「塩」と書かれたブリキの看板をペンキで塗り、
「お茶」と書いて吊していました。
このすべてが私の出で立ちを象徴していたのかもしれませんが、私は恥ずかしくて……。
「あんたお茶屋の子だったの?」と近所の金持ちの、途中から来た婆さんがいい、
「はるよちゃんちって、借家だったの」と、
いまはFacebookでも友だちの同級生が言いました。
いまだ柳のように刺さっている言葉です。