現象の奥へ

【DVD】『死への逃避行』──アジャーニというクロスワードパズル

死への逃避行』(クロード・ミレール監督、イザベル・アジャーニ、ミシェル・セロー主演、1983年、フランス)

昔観た映画で、題名忘れ、フランス映画だということと、アジャーニ主演だということ、たった一つの印象、というより記憶に残った場面、だけ覚えている。いつまでもいつまでも、その場面だけが脳裏に残っている。果たして、なんという映画だったか。急に決着がつけたくなって、アジャーニのフィルモグラフィーを見て、もしかしたら、これではないかと(レンタルはないので)、やっと見つけた、「駿河屋」というビデオ屋さんで購入した。観ると、やっぱりこれだった。いつまでも記憶に残っている場面とは、まったく劇的な場面ではない。探偵が、尾行しながら、クロスワードパズルが載っている新聞(?)を片手に、エスカレーターに乗りながら、パズルを解いているのである。口に出して考えていると、通りすがりの客が、答えを言って通り過ぎる──。実際観てみると、探偵はエスカレーターに乗っているのではなく、航空会社の列に並んでいる。並びながら、クロスワードを解いているのである。なぜ並んでいるのかといえば、犯人を追跡するためである。口に出して考えていると、いっしょに並んでいる男が、パズルの答えを言ってくれる。このなにげない場面が映画の性質を表している。いかにもフランスらしい映画である。こういう場面は、アジャーニのDNAのひとつである、ドイツ人にも、もうひとつのDNAである、アラブ人にも描けない。しかも、このなかでも、アジャーニは劇的な役柄で、劇的な生い立ちを持っているらしいが、あいかわらず無表情である。とくに演技もしていない(笑)。この映画の「心」は、探偵役のミシェル・セローが演じている。DVDは、「アジャーニ主演」で売っているが、ほんとうの主演はミシェル・セローである。自然できめ細かな表情がいい。若くして娘を失い、別居している妻とも心がすれ違っている。人生捨て鉢になっている。だが、クロスワードパズルに没頭している。この映画には、恋愛は存在しない。悪女アジャーニは例によって男をいろいろ騙くらかすが、恋愛はない。探偵もアジャーニにのめり込んで、倒錯的な追跡を続けるが、恋愛ではない。探偵はアジャーニに、死んだ娘を見ている。映画は、犯人捜しではなく、犯人は最初からアジャーニがどんどん金持ちの男を殺していくところを見せている。アジャーニを追っていきながら、いくつも殺人現場を見てしまう。はじまりは、金持ちの男の両親に依頼された、素行調査である。ストーリーは、探偵の心である。従って、現実とは違った方向へ収斂していく。悪い映画ではないが、ヒットしそうもない映画である。多くのひとの記憶に残る映画でもない。誰かの脳裏にそっと、しかし確実に、残っているような。