現象の奥へ

【詩】「惨敗日記」

「惨敗日記」
 
気取ってマラルメ、などと書くこともできた。マラルメが書いている「エドワール・マネ」と題された散文詩を、英訳しているベケットについても、また、マネをテーマとしたフーコーの文章についても、また、オルセー美術館で見たマネの絵そのものについても、また、自室の壁高くにかけた、白いペンキを塗ったような素朴な額縁に入れた、マネとも思えないようなガラスの花瓶にいけられた小さな花々の絵の、絵はがきについても書くことができた。しかしいま、
私が生きている証明として書くのは、
これまでの生の総括、すなわち、
惨敗の
日記である。
 
建築家安藤忠雄氏の著書に、『連戦連敗』という題名ものがあるが、そんな晴れやかなものとも違う。ひそかに
逃れていく生の
逃してしまった時間の
後悔にさえなれない
ジレンマのような
 
*This eye - Manet -this child eye of old urban stock, new, set on things, on persons, virgin, and abstract, preserved, only yesterday, the immediate freshness of meeting, ...
 
**Cet oeil - Manet - d'une enfance de lignée vieille citadine, neuf, sur un objet, les personnes posé, vierge et abstrait, gardait naguères l'immédiate fraîcheur de la rencontre, ...
 
***この眼ーマネー年老いた都会の一族のこの子供の眼、新しく、物たちに、ポーズをとった人々に注がれ、処女に、抽象的なものに、つい昨日まで保持されていた、出会いの瞬間的鮮度、……
 
 
******
 
* Samuel BeckettのMallarmé "Édouard Manet"の英訳の部分
 
**Mallarmé "Édouard Manet"の部分
 
*** 上記の部分の拙訳
 
 
 
 

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【詩】「色つきのオトコでいてくれよ」

「色つきのオトコでいてくれよ」


ネットには昔の美男子も

転がっていると思うし、写真だけでは実際はわからない。

それでも、「友だち申請はお会いしたことのある人だけにしてください」ってなー、んじゃー、ネットの意味がないだろ。

そんなの大昔からのただのひとのつながりじゃん。

そして、息苦しくなっていくのがオチだ。

ネットは1990年代から、未知の人間の、「中身」が先に見えてしまうという特徴を持っていた。

それがスリリングで、普通だったら、街ですれ違っただけのジジイが何を考えているかなんて知るよしもないが、それが知れてしまうという、倒錯した世界だ。それを、もともとの知り合いだけにしていたら、倒錯の倒錯だ。そんなことにも気づかず、気取ってるオバハン、オネーチャン。

だけど、あなたは、私がこれまでの20年以上のネット史で出会った、唯一の

色つきのオトコだった。

その書きっぷりがな。

しかし、バカな生き方だった。

本人も自覚しているところがなかなかのやつだと思った。

しかし、あんたを取り巻いているやつらは、どれもこれもあんた以下だ。それを、「お知り合いの突然の登場」で知った。

いかん。

サイナラ。

もうその世界を「覗く」興味は失せた。

しかし、いつまでも、いつまでも〜♪

色つきのジジイでいてくれよ〜♪



(ってな、詩を書きまちた。これをプレゼントします。永久のお別れの記念に。もうブログは「覗き」ません。興味がないから。あなたも、この詩を読まないかもしれませんね。でも、いつまでも、いつまーでも、色つきのオトコでいてくれよ〜。

棒にふった人生が美しいやつもいるサ)



 

 

『罪の声』──テーマも明確な端正なミステリー(★★★★★)

『罪の声』(土井裕泰監督、2020年)
(2020/11/5@ユナイテッドシネマ、キャナルシティ13(博多))

 グリコ社長誘拐事件に端を発する一連の事件(映画では、企業名は変えられている)は、「表面的には」おおぜいの犠牲者を出したわけではなかったが、姿の見えない犯人に、誰でもが知っている企業と警察が、国民の面前で、手玉に取られているという点で、そして、その後、さっぱりとした解決があったわけではない点でも、なにかよけいに陰惨な事件であった。そして人々の記憶にもいつまでも残るような事件であった。その事件が描かれるというので、監督も出演者にもなじみはなかったが観に行った。
 そこに展開されていたのは、1980年代という時代の現実であった。事件は金目当てながら、『シカゴ7裁判』のように、犯人グループは三種類からなっていた。1,あからさまに金がほしいヤクザ、2,家庭持ちの賄賂警官、3,学生運動の生き残りの社会に怨念を抱く者。そして、「3」の、この学生運動崩れが、知識人的というので、事件のブレーンとなる。脅迫として現金を稼ぐか、企業のイメージを落とし、株価操作で稼ぐか。そして、学生運動生き残り組は、社会や警察権力への恨み晴らしが目的で、金は二の次だった──。
 この作品も、緻密なミステリーに仕上がりながら、テーマは、『三島由紀夫 V.S.東大全共闘』のように、結局頭でっかちな権力への恨みが、令和において破綻し、現実には罪のない犠牲者を作ってしまったことを明確にしている。それが、今回は、犯人グループの脅迫に声を使われた子供3人である。うち、15歳女子と8歳男子は姉弟で、もう1人は彼らとは関係のない5歳(?)だったかの男児だった。その男児が、星野源演じるテーラーを営む、ごく普通の男性である。彼はひょんなことから、天袋にあった亡父の遺品から自分の声が吹き込まれたカセットテープを見つける──。そして、べつの方向から、その事件の取材を始めていた新聞記者の小栗旬と出会うことになり、二人して事件を追っていく。父親のテーラーを継いだ星野源は妻と幼い娘と幸せな生活を送っていたが、あとの2人、何も知らず現金の受け渡し場所の文章を読まされた姉弟は、悲惨な人生を送らされた。そういう人々の消息を丹念に追って、ジグソーパズルのピースを完成していくように、ミステリーを解決していく。
 テーラー役の星野源の演技を初めてみたが、集中力がすばらしく静かな台詞にもリアリティがあり感心させられた。
 思えば、60年代の後遺症を引きずっていた時代だったと、今わかる。

 

 

【詩】「むかしむかし野坂昭如という作家がいた」

「むかしむかし野坂昭如という作家がいた」

どんなウイルスでも必ず終わりは来る
どんなRNAでも必ず終わりは来る
しつこいやつもあくどいやつも
いつかは消える
どんな政治家にも必ず終わりは来る
どんな反逆者にも必ず終わりは来る
陳腐なやつも軽薄なやつも
いつかは果てる
どんなメタファーにも必ず終わりは来る
どんな言説にも必ず終わりは来る
横柄なやつもへつらうやつも
いつかは絶える
その日のために鍛えておこう
きみの臓器のすべてを
子宮
卵巣
睾丸
どんなジェラシーにも必ず終わりは来る
どんな煩悩にも必ず終わりは来る
惨めなやつも救われないやつも
いつかは消える
その日のために鍛えておこう
きみの覚悟のすべてを
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『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)──文章が下手で世界史的視点を欠く(★★)

満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉』(加藤陽子著、岩波新書、2007年)

 たとえば、第二次世界大戦より悲惨だとされる第一次世界大戦の始まりは、オーストリア皇太子の暗殺であるが、それまでの「経緯」は、フランスとドイツの経済戦である。これとよく似た「経緯」で、日中戦争が起こっているが、そもそも戦争というものは、トロイ戦争から近代戦に至るまで、略奪目的である。本書はそういった世界史的視点がまったくなく、ただ軍部を中心した「極秘資料」などを含めた資料を並べて、主に軍の事情を書き連ねている。文章もへたで、オバチャンのエッセイといった印象を、いかめしい「論文」調の仮面の下にちらりと抱く。ただ、立場的には、右翼ではなく、どちらかといえば、左翼系? 日本学術会議を否認された六人のうちの一人であるが、残念ながらそれほどのキレ者でもないので、メンバーであってもなくても、それほどの損失はないと考えられる。会長のノーベル賞学者のニュートリノの梶田氏からすれば、この著者のレベルはかなり下。

 まったく、岩波新書の本シリーズは、著者によってピンキリである。本シリーズ第6巻、『アジア・太平洋戦争』の吉田裕氏とは雲泥の差。

 

*****

余談:あれ? 総理大臣の名前を忘れた……あ、スガか(笑)。スガ氏は、任命拒否の6人のうち、このセンセイの名前だけは知っていると答えたそうな。だいたい、日本の学問界は、思想的、レベル的には、かなりネジれていて、スガのアタマでは理解できないのではないの? 当然ながら、裏で入れ知恵しているやつらがいるんでしょうね。

 

【今日のひとこと】(2020.11.03)

「知っていることは、それほど重要なことではない」

益川敏英、物理学者(専門は素粒子論)、2008年、ノーベル物理学賞受賞)


(『つぶやきカフェ』(三省堂、2010年9月20日刊)

 

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(写真は、ウフィッツィ美術館@フィレンツェの屋上)

 

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