現象の奥へ

『マザーレス・ブルックリン 』──ノートンの知性全開(★★★★★)

『マザーレス・ブルックリン』(エドワード・ノートン監督・脚本、2019年、原題『MOTHERLESS BROOKLYN』

Motherlessという意味を、深く知ると泣けてくる──。

 主人公のライオネル(エドワード・ノートン)は、6歳の時母と死に別れ、ブルックリンのカトリック修道院の孤児院に収容され、奇病のために、修道女に棒で殴られていた。奇病とは、いわゆるチックが大げさになったもので、自分の意志とは関係なく、頭をよぎった言葉を口に出してしまう。相手としゃべっていても、勝手に言葉が出てしまう。本編中でも、「If, if……」と繰り返したり、「でっかいおっぱい」と口走る。そんな彼を守ってくれたのが孤児院の三人の仲間。ライオネルが12歳の時、彼らをみんなひきとって、自分の探偵社で働かせることにしたのが、ブルース・ウィリス扮するフランク。しかし彼は、ある事件を調査中に殺されてしまう。そんな恩人の死を探っていく、ライオネル。恩人のフランクは、彼の名前を呼ばず、「マザーレス・ブルックリン」と呼んでいた。「母のいないブルックリン」それはそのまま、このNYのスラム化「された」ブルックリンそのもののようでもあり、「母がいない」、その裏を返せば、「父はいる」ということになる。事実、この物語は、NYの土地開発、人種差別等を縦糸に、父親たちの物語を横糸に織りなした、1950年代の物語だ。
 父親たちとは、事件で知り合う、土地開発に絡めた人種一掃問題を公にする運動に身を投じている学位を持つ黒人の娘、ローラ。彼女の父は……。
 結局のところ、そういうところに落ち着くのか、の結末ではあるが、意識的な長尺にして、複雑に絡んだ物語をていねいに描いている。そのままでは美しすぎるノートンを、絵物語にしないための仕掛けの「奇病」あるいは「奇癖」(原作の設定かもしれないが)。精緻に計算された、ノートンの知性全開の映画である。
 本場のジャズは、当然のようにして、美しくもすばらしい。ウィントン・マルサリス参加。