現象の奥へ

【詩】「近松」

近松

十六世紀の最後の三十年間歌舞伎は最高潮となり、
その中心は、豊臣秀吉だった。
派手な衣装がすきだった、微賎の出ゆえ。
歌舞伎の源流は、自称出雲大社の巫女、女芸人阿国
大した芸じゃなかったが、もともとは盆踊りだった踊りを、大胆に踊ってみせて大喝采
古代ローマの支配者たちは民衆にパンとサーカスを与えたが、
江戸幕府は歌舞伎を与え、反抗の芽を摘んだ。
しばし歌舞伎も浄瑠璃も栄えたが、それは下等な芸当だった。
もともとは越前福井に生まれ育った近松は、武士であった父に従い京に出た。
公卿社会の庇護を受け、やがて、人形浄瑠璃の脚本を書くようになる。
人形でなければできない見せ場、たとえば、
舞台の真ん中で首を落としてみせる。
ひとよんで、
日本のシェークスピアとなりにけり。