現象の奥へ

『政治という虚構──ハイデガー芸術そして政治』フィリップ・ラクー=ラバルト

『政治という虚構──ハイデガー芸術そして政治』フィリップ・ラクー=ラバルト(浅利誠、大谷尚文訳、藤原書店、1992年刊)

原書は、1988年刊、国家博士号のための補助テキスト。本論は、それほど長くないが、本書が出版される直前に出た、ファリアスの『ハイデガーとナチズム』に関しての詳細な反論や補遺などが含まれ、それなりの大部となっている。
 ラバルトに言わせれば、ファリアスの書は、ハイデガーのナチズム加担については、すでに知られたものばかりである。ラバルトが指摘したいのは、ハイデガーの「加担」はむしろ、芸術を語る時に露わになっているということである。論文タイトルの、「政治という虚構、La fiction du politique」は、政治というものが虚構であると言っているのではなくて、政治を装ったフィクションもありうるということではないかと思う。
私のこの本も、発売と同時に買ったのではなかったかと思うが、すでに日に焼け、なかに鉛筆で線も引かれている。本棚に並んでいるなぜかこの書を手にとってみようという気になった。本書によってインスパイアされたというわけではないが、あのベルグソンですら、第一次世界大戦時、アメリカで、戦争賛美のような講演をしているというデータがある。
……とまあ、だいたい哲学が完全なる正義でなければならない理由もなく、また、正義とはなにか?ということにもなる。案外、サルトルのような人の方が、「完全シロ」なのかもしれない。
 日本では、おフランスの思想は、常に「ブーム」でしかなく、その「ブーム」が過ぎ去ってしまうと、それは「すでに古い」ということになる。だが、いま、ほんとうに、そうだろうか?
また、彼らを、「呼び出さ」なければならない時代が来ているのではないか?

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