「ちょうどよいテロリスト」
Facebookの魑魅魍魎をゆけば、
第一詩集として、『ちょうどよい猫』という題名の詩集を出した女性詩人あり。
「詩を書いてます。まだ駆け出しで」と。
しかし、それなりの人気を集めていた。
われははたと立ち止まり、「ちょうどよい猫」とはどんな猫と思った。
現実に「ちょうどよい」と思ったのだなと思った。
ここには、頭でっかちのアレゴリーも抽象的な表現もなく、
中身はともかく、これはこれで、すでに題名にしてからが詩だな、と思った。
もうあまり、FBを覗かなくなったともあった。
もう威張ってるやつはいらない、大御所ぶりもいらない。
実績のないなんかの選考委員、詩壇(というものがあればのハナシだが(笑))ゴロ。
しかし、私としては「猫」は平凡だ、「ちょうどよい」とくるなら、
「テロリスト」はどうだ? そーねー、連合赤軍の誰それとかね。
福田の前に福田なし、福田の後に福田なしの、あの福田赳夫が、「超法規」したテロリストの諸君である。