現象の奥へ

大江健三郎そして大江健三郎

大江健三郎そして大江健三郎

1969年以降の大江健三郎の作品は、ほとんどが、題名も含めて詩であると、当方は考える。詩への嗜好、嗜好、思考は、1969年初出の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』は、それがテーマだといっていいくらい表出されている。本書の題名は、オーデンの詩から。氏は、昔から「詩を読むのが大好きだった」ことを明かしているが、それが徐々に、おそらくメキシコへ特認教授として招かれてから、ノーベル賞詩人のオクタビオ・パスに出会い、「詩人」としての自分をはっきりと自覚していく。氏がそのとき、おおいに感銘し、影響を受けたのが、オクタビオ・パス編集、サミュエル・ベケット翻訳の、メキシコ詩人のアンソロジーである。

私は若い頃(19歳頃)は、「現代詩手帖」の投稿欄に投稿し、その頃は知らなかった伝説的な詩人、石原吉郎氏などの支持を得、いろいろな同人誌からのお誘いも受け、詩を書いていたが、しだいに、その狭小な世界に嫌気がさし、当初からの希望のように小説を書き出し、商業誌デビューも果たしたが、その後、厳しい編集者の意向もあり、とんとん拍子にはいかなかった。しかし、修行を決してやめなかった。そのひとつに、小林秀雄の、「若き作家志望諸君へ」という「助言」どおり、二つ以上の外国語をものにすること、にしたがい、なんとか、英語とフランス語では、アルバイト程度の仕事はできるようになった。

 そしてまた、ネットで詩を発表するようになった。「現代詩手帖」の投稿欄のかつての選者だった鈴木志郎康氏から「山下さんは詩集を出した方がいい」という助言から、半世紀も経ったて、ネットで簡単に安価な作り方で詩集が出せるのを知って、試行錯誤で、やっと十六冊の詩集を出すに至った。

 私の、ある詩人の曰わく「垂れ流しの詩」は、その根拠には、大江健三郎からのインスパイアがある。いま、自称大御所(笑)、有名人詩人、賞たくさんもらった詩人の、とくに思潮社となんらかの関係を持ちたがっている、いわゆる「現代詩」の詩人の方々とは、なんの関係も持たずにきた。その「日本の詩人」さんたちの詩には、なんの関心もない。ただ、パスとベケット、大江の研究は続けていきたいと、個人的な冥福を祈りつつ思うのであった。