現象の奥へ

最果タヒ詩集『さっきまでは薔薇だったぼく』──将棋で言えば藤井聡太

最果タヒ詩集『さっきまでは薔薇だったぼく』──将棋で言えば藤井聡太小学館、2022年4月13日刊)

 

ついに詩集が、小学館から出た! 日本で唯一、メジャーデビューした詩人。有名詩人も、有名な文筆家も、自費出版をしているような詩の出版社なら、「企画モノ」で、人寄せパンダ的な意味合いで出してくれるだろう。しかい、小学館はそれほど甘くはないので、ビジネスとして通用するから出すのだろう。大手なので、値段は1200円(+税)、これなら若者でも買える。薄くて小さな本で、どこへでも持って行けるし、デザインも洗練されている。ぱっと見、「薔薇」と納得してしまうが、よく見れば、薔薇なんてどこにもない、抽象画である。最果タヒの詩集にはぴったりである。そして、彼女(?「生理詩」というものも書いているが、まだ疑っている(笑)私である)。しかし、この詩人について、頭の固い、ほとんどの年寄り詩人は、おもては媚びながら、内心あれこれ思うだろうが、この詩人は、日本で唯一の「大御所」である。あとは、りっぱな詩集を出し、賞を取ったり、エバったりして、大御所のふりをしているのである。そして「現代詩」を作り上げてきた出版社と「エバった年寄り」、そういう時代はついに終わった。

 詩は詩でしかなく、論理とリズムがあるだけである。比喩でさえない。

 薔薇というテーマも、伝統的なテーマである。エドモンド・スペンサーの「薔薇のうた」をはじめ、多くの詩人が書いている。それぞれの時代の、それぞれの感性で。最果タヒは、決して紋切り型表現、論理を使わない。なぜなら、心で書いているから。