現象の奥へ

天正十年愛宕百韻

天正十年愛宕百韻】

場所は山城国愛宕山西之坊威徳院。表向きは毛利征伐の戦勝祈願、実は信長を本能寺で破るための明智光秀の祈願をひそかにこめたもの。

連衆
光秀
ほか八名。

初表
「ときは今天(あま)が下しる五月哉」 光秀

NHK大河『どうする家康』では、まんま光秀が口走っていた(笑)。

しかしながら、フロイス『日本史』によれば、本能寺焼け跡からは信長の遺体は、骨ひとつ見つかっていない……とか。その「史実」をもとに、さまざまな「歴史小説」が書かれているようだが、そのひとつに、実は信長は、秀吉の住居の牢に長年閉じ込められて生きていた……というのがあった。しかし、歴史を勝手に変えたらいかんというのは、大岡昇平松本清張を批判して言っている。言えてる。

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SNSのオーナーも名称もどーでもええワ(笑)。