【詩】「愛されるためにそこにいる」
「愛されるためにそこにいる」
男は父親と二人暮らし、
女は……覚えていない。
かなり忘れてしまったフランス映画だ。
地味なダンス教室で出会った。
どちらかの家に招待され
食事をした。ダンスの難しい部分についての話になった
テーブルに人差し指と中指を置いて、
スロースロー、クイッククイック、
みたいなことをフランス語で言い合う。
それだけのこと
おやすみなさい、今夜はごちそうさま。
どちらかが言って、帰って行く。
男の父親は病院に入院していたかもしれない。
かなりの頑固もので、男にやさしい言葉などかけたことがない。
だめ。
今更恋だなんて。
と、二人とも思う。
二人とも、あきらめていた……
男の父が死に、父の部屋の荷物を整理していた時、
戸棚から、男が少年の時優勝したサッカーかなんかの
トロフィーを見つけた。
父は大事にしていた。
スロースロー、クイッククイック。
二人は気づき、走り寄って抱き合う。
人生はその
トロフィーのようなもの。
愛されるためにそこにいる。
■
「マラルメ、あるいは潮風」
「併し我々を詩から遠ざけているのは浪漫主義だけでなくて、もともとこれが退屈を紛らす手段であるならば、その原因になった生きることに対する退屈そのものの問題もあり、生きているということに就て迷うのと、生きるのをやめるのはそう違ってはいない。そしてここでは、生きていることと詩は同じものを指すのである。自分が自分であることに就て疑いを持たず、寧ろそのことに驚きを感じている充実した人間が発する言葉が詩である時、迷いはこの流れを乱して、人間は詩のみならず、この充実した状態からも遠ざかる。パスカルは詩を書かなかった。(略)マラルメの「潮風」という詩は、言葉だけで出来ている」(吉田健一『文学概論』)
La chair est triste, hélas! Et j’ai lu tous les livres.
(肉体は哀しい、なんてこった!私はすべての本を読んだ。)
松並木が続く、弁天島の砂浜をどこまでもあるいた。
ゆえに父の実家はこの地となった。
そこには、明石山脈の裾野、大井川と天竜川が分かれるあたりの山地に位置する、
遠州にはなかった
潮風が絶えず吹きつけている。
Hélas(エラース)!
まさにこの言葉が、山下家のイメージである。
三代前は猿だった。
祖父松太郎、曾祖父こうたろう……猿(笑)。
それがどーした、茶摘みじゃないか。
Fuir! Là-bas fuir! Je sens que des oiseaux sont ivres.
(逃げろ! あっちへ逃げろ! 鳥たちは酔っているのを感じる。)
浜に落ちているのは醜いウミウシ。
記憶に混じるざらざらの砂粒。
祭りの花火があがる。
D’être parmi l’écume inconnue et les cieux!
(見知らぬ泡と天のあいだにあること。)
Hélas(エラース)! なんてこった!
ここでマラルメに出会うとは
【詩】「ヴァレリー、あるいは地中海」
「ヴァレリー、あるいは地中海」
「詩がそうして我々に語り掛けて、何かを我々に伝えるのは、一般に言葉を使う時の例に洩れない。それは今日でもそうであって、例えばディラン・トオマスがロンドンの空襲で焼け死んだ女の子を悼んで作った詩は、事実、その死を悲しんだから出来たのである。そしてヴァレリーが「海辺の墓地」を書くのに、その一行十音節の韻律が先ず頭に浮かんだということも、これに対する例外ではなくて、韻律だけでは詩が書けないから、ヴァレリーはさらに探して海という題材を得た。これは、言葉でしかない文学というものの典型が詩であることを妨げなくて、語るのに言葉があり、それも含めて言葉が全く言葉である状態に置かれた時に、これが詩になる。」(吉田健一『文学概論』)
19**年、大韓航空撃墜事件の翌年の同月同日の9月1日、
その大韓航空機で夢にまで見たフランスはパリに渡った。
友人が実家のある南部まで連れていってくれた。
そこで突如、地中海に触れることになった。
すでにバカンスの終わった海岸は閑散として、
海は、まだ夏の終わりなのに身を切るほど冷たかった。
その冷たさ、
それは意外であり、
現実であった──。
「海辺の墓地」(LE CIMETIÈRE MARIN)の139行目
Le vent se lève !...il faut tenter de vivre!
なる行に出会い、これは堀辰雄『風立ちぬ』のエピグラムではないか!
堀は、「風立ちぬ、いざ生きめやも!」
と訳していた。
風が舞い上がった!…… 生きることを試みなければ!
そしてそこから、
ダ・ヴィンチやホメロスが
立ち上がった。
「ヴァレリーは地中海の子だね」
と、河上徹太郎は言っていた。
生きることを試みなければ!
アドルノ『プリズメン──文化批判と社会』
テオドール・W・アドルノ『プリズメン─文化批判と社会』(渡辺祐邦・三原弟平訳、ちくま学芸文庫)
有名な、
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という文章は、本書の「文化批判と社会」というエッセイのなかに含まれている。独立したアフォリズム(のように扱われているが)ではない。アドルノは、アフォリズムのような、今流通している「現代詩」のようにお手軽な行為から最も遠い哲学者であり、事実本エッセイ(この形式をアドルノは選んでおり、それは、日本人が考える「身辺雑記」を含むような安易な形式とは大違いである)は、そういった「形式」や「文化行為」を批判している。それらは、ヘーゲルの体系哲学の「末端」に位置し、究極的には、体系的哲学を批判するのを目指したこのエッセイも難解なものである。ちなみに、ベルグソンは、自分の哲学に忙しく、ヘーゲルなど読んでいる暇はなかった(笑)。
「アウシュヴィッツ」の箇所を引くと、
非業の宿命のもっとも鋭い意識でさえ、単なるお喋りに堕すおそれがある。文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。応手ヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を言い渡す認識をも侵食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、今それは精神を完全に呑み尽くそうとしている。批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない。
その「詩」を意識的に物象化し、ひとつの世界を築き上げた人物に、いま、「詩壇」(というものがあれば)の基礎を作り上げた、某社の某氏がいる。このひとのお別れの会に出席したらしい友人曰く、氏は、「現代詩界は、ジャーナリズムである」と言っていたそうである。さもありなん。ネット社会となり、「詩」はますます、頭にとっても行為にとっても、お手軽なものとなっていく。それが商品として流通しうるかは、ともかくとして、人寄せパンダ的なものにはなるかもしれない。……てなてなわけで、どーするアドルノ? いまの世界があなたが生きた時代よりますます……ブラックホール化している。私は知らない(笑)。
『ブルターニュの光と風』展@豊橋市美術館
『ブルターニュの光と風』展@豊橋市美術館
おもに19世紀のブルターニュ出身の画家たちの作品を集めた。なかの「有名人」は、ゴーギャン。タヒチに経つ前に一時滞在していた。ブルターニュは、地味ながら、それなりの画家たちのメッカだったようだ。荒々しいブルターニュの海岸や、海のなか、嵐、人々の生活が描かれているが、うっとりするような景色はない。常に岩、嵐、厳しい漁生活との戦いだったように見える。ろくな絵の具もなく、技法もいまいち。これは私の勝手な感想であり、絵画史上の事実は知らない。印象的な色は、土色、テラコッタ……私はこの色が嫌いだ(笑)。イタリアとの激しい落差。あー、もう一度、フィレンツェに行きたい! なんてことを思わせる、貧しく、田舎の、絵画でした。しかし、これも人間の通ってきた道。この美術展じたいは、整理されかつ充実していた。ひとつの時代のひとつの土地の、生(なま)の生活を表現していた。あ、ゴーギャンの作品は、A4ぐらいの(笑)、鉛筆画でした。私にも画けると思ったのは、驕りでしょうか(爆)。
★★★
なお、この美術館には、三沢厚彦氏の動物たちがおられました。